縞衣の小説ブログ

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心のささやき(桜田桜の日常28)

「ただいまー…」

 帰り着く家は無人だが、桜はいつもそう言うようにしていた。声に出す事で、一人の寂しさが紛れるからだ。

 別に、寂しくて寂しくて仕方ないという訳ではない。ただ、ふとした瞬間に一人を実感して、ほんの少しだけ寂しくなるのだ。

 特に今日みたいな日は、出迎えてくれる家族がいて、我が家の温もりを感じられたら良かったかもしれない。彼女ができたと知ったら、きっと家族は大盛り上がりだろう。冷やかされるのは嫌だが、喜ばれるのは嬉しい。

 

 桜は荷物を置くとジャケットを脱ぎ、ネクタイを外した。洗面台で手洗いを済ませ、狭い室内をキッチンへと移動する。やかんに水を入れ火にかけると、先ほど脱いだジャケットとネクタイを持って寝室へ向かった。

 火を使っているので、音が聞こえるようドアは開けっ放しだ。施錠と火の扱いにはくれぐれも気を付けるようにと、両親から言われている。

 自分はまだまだ独り立ちには程遠いが、いずれはこういった事の一つ一つ、全てに責任がかかってくるのだと思うと、成人するというのはなかなか大変な事で、成人式に浮かれて何かしでかすというのは、責任感が欠如していると言われても仕方ないのだと思う。成人してから責任感に目覚めるのではなく、成人する時にはきちんと用意が整っている様になりたいものだ。

 

 家用のトレーナーとリラックスパンツに履き替えた桜は、制服をハンガーにかけて寝室を出た。狭い部屋だが、一人で暮らすのには何の差し支えもない。広すぎると掃除も手間がかかるし、管理が大変だ。持って来た荷物もさほどない桜は、なるべく物を置かずにスッキリとした部屋にしようと決めていた。

 衣類の収納も、引き出しくらい買ってあげると両親が言ってくれたが断り、簡単に持ち運べる軽いプラスチックケースや不織布のケース、百円ショップで売っている段ボールのおしゃれな箱などを利用している。

 しっかりした引き出しなどを置いてしまうと、模様替えをしたい時にも苦労するし、何よりそれなりの価格になる。無理を言って一人暮らしを認めてもらった上に、用意する家具などで両親に負担をかけるのは嫌だった。

 

 洗濯機も一万円くらいで買えるコンパクトなものは買って貰ったが、たらいに漬け込んで洗う方法を主流とする事にしている。それなら学校に行く間に漬け込んでおけばいいし、靴下などは特に、ただ洗濯機で洗うようりも、そうした方が汚れもよく落ちてキレイになるのだと、母から教えて貰った。

 一番大変なのはシャツの洗濯だ。なるべくシワにならないよう洗って干し、アイロンがけも必要になる。中学までは母がしてくれていたが、こんなに手間のかかる事だったのかと、自分でやるようになって気がついた。

 母がするとサッとキレイにできるアイロンがけも、自分ですると時間がかかる上にシワが残っていたりする。本当に初めてした時は、ただアイロンをかけるだけで一時間以上もかかってしまった。高校を卒業する頃までには、上手に手早くかけられるようになっているといいのだが。

 

 そこまで考えて、桜はフッと晴夏の顔を思い出した。料理が上手な彼女は、アイロンがけも得意だろうか。そもそも、彼女には苦手な事があるのだろうか。美人で成績も良くスポーツ万能で、という武勇伝はいくらでも耳にしたが、何々が苦手、という話は聞いた事がない。

 やかんのフタがカンカンカン、と鳴って、桜は慌てて思考を中断し立ち上がった。

 火を止めてポットにお湯を注ぐと、炊飯器の釜と内蓋を洗って米を研ぎ、釜に入れてセットする。明日の朝に炊き上がるようタイマーのスイッチを入れて、明日の弁当のおかずを作ろうと冷蔵庫を開けるも、材料を見てもどこか上の空で何も浮かばず、パタンと閉じた。

 

 晴夏の顔を思い出したら、連想して今朝の出来事を思い出してしまったからだ。彼女から窓際に追い詰められて、苦手なはずの勝気そうな瞳で見つめられ、これまでにないくらいドキドキしてしまった。

 彼女はずるい。いつもああやってこちらの心をかき乱してくる。

 そんな事をぼうっと考えていたら、突然電話の着信音が鳴り響き、桜は小さく飛び上がった。慌てて駆け寄り画面を見ると、「部長」と表示されている。部活の用事で連絡する事があるかもしれないからと入部間もない頃に番号を教えてくれたので、登録していた。後で晴夏先輩に直そう、と思いつつ通話ボタンを押して耳に当てる。

 

「はい」

『桜?』

「はい、そうです」

『ふふっ、私だよ。いきなりかけちゃって、ビックリした?』

「はい…少し」

『付き合うって、大変だね。昨日までは、桜の声が聞きたいと思っても、急に電話なんかして不審がられたらって思い止まれたけど、付き合う事になったらとたんに我慢できなくなっちゃうんだから』

 

「……」

『あ、さっき別れたばっかりなのにって呆れちゃった?』

「ち、違います」

『じゃあ、用事もないのにかけてきてって怒ってる?』

「それも違いますっ」

『ふふ、それなら良かった。そうだ桜、明日写真を撮らせてくれない?』

「写真ですか?」

『うん。写真があれば、桜に会いたくてたまらなくなった時、それを見て我慢できるだろ?毎回電話する訳にもいかないだろうし』

 

「あのっ…でも俺、写真苦手で…」

『大丈夫、桜が知らない間に勝手に撮るから。そしたら意識しなくて済むだろ?』

「勝手にって、変な写真はやめて下さいねっ」

『ははっ、それはそれでいいかもね、見る度に笑えて。でもせっかくなら、楽しそうにしてるとことかがいいかな。それとか――」

 晴夏はそこで言葉を切った。何か勘に触る事でも言ってしまっただろうか、と不安になった瞬間、電話の向こうでほぅと息をついたのが聞こえた。

 

『そろそろ電話切ろうか、おやすみ』

「えっ、どうしてですかっ?!」

 明らかに何かを言いかけてやめたままだ。このままでは、何を言おうとしていたのか気になってあまり眠れないかもしれない。明日になったら別れようって言われるかも、なんて余計な事まで考えてしまいそうだ。

『聞きたいの?』

「えっ…」

 どこか棘のあるように聞こえる言葉に、やはり何か不機嫌にさせてしまったのかと戸惑う桜に、晴夏は短く『ごめん』と謝った。

 

『今のは言い方が悪かったね。ごめん、いつになく余裕がなくて』

「えっ……え?」

『もう、私の中は君でいっぱいだよ。上目がちな瞳とか長い睫とか、うっすら汗ばんだ肌とか思い出したら、もう堪らなくなっちゃって…』

「だ、だめです!」

 『君でいっぱい』なんてセリフだけでも熱くなってしまうのに、肌がどうのなんて言われたら、どうしてもエッチな方に考えがいってしまう。

 

『桜…』

 名前を呼ばれて、桜の心臓はドクンッと大きく跳ねた。電話のせいで、まるで窓ドンされて耳元でささやかれた時のように近くに彼女の声が聞こえて、鼓動はバックバクなのになぜか少し切なくなった。

 だって、ここに彼女はいない。いない方がいいと思う反面、どんな表情をしているのか見たいと思う自分もいる。

「…あの、先輩……」

『――ごちそうさま。また明日ね、おやすみ』

 優しい声色で言われて、桜は慌てて「おやすみなさい」と返した。通話が切れて、桜はそろそろと終了ボタンを押す。電話をテーブルに置くと、桜はどさっと床に寝転んだ。

 彼女の声が、耳の奥で聞こえる。両手で顔を覆っても、彼女のやわらかな笑顔は消えない。

 

「先輩……」

 どうしよう、こんなに好きだったなんて知らなかった。おまけに、そんな人から「君でいっぱい」だなんて言われてしまったら、恋愛経験なんて少しもない自分には、どうしたらいいのかさっぱり分からない。

 付き合うって大変だね、と彼女は言ったけれど、好きだと自覚する事も大変だと桜は思った。

 妹の桃から借りる恋愛小説やマンガを読んで恋がどういうものなのか分かったつもりになっていたけれど、考えてみれば、今まで誰かを好きで切なくて仕方なかったという経験がない。

 

 淡い恋だなんて嘘っぱちだ、と思うと同時に、でも甘酸っぱいって表現は当たっているような気もするな、と考える。

 イメージするのはイチゴ味のジェラードだ。甘くてほんのり酸味もあって口にすると自然と笑顔がこぼれるけれど、全部食べてしまったらもっと欲しかったと少し残念になって物足りなさを感じる。

 だけど、欲しいからと毎日食べたらそのうち飽きる。中には飽きのこない食べ物もあるが……恋はどうだろう?彼女への気持ちは?彼女の自分に対する気持ちは?もっと一緒にいたいと言われたけれど、本当にその通りにしたら欠点もどんどん露わになって、「なんだ、大した事なかったな」と飽きられてしまう?

 

 ――ダメだ、考えても分からない。桜は両手で挟むようにパシッと頬を打つと、身を起こして立ち上がった。

 ウジウジしてもしょうがない。せっかく一緒にいたいと言ってもらえたのだから、まずは一緒にいよう。

 だって、自分は彼女が好きだ。共に過ごす時間も好きだ。家で一緒に料理しながらおうちデートしようね、と言ってもらえたのも嬉しかった。単純でバカだと思われてもいい、好きだから一緒にいたい。

 

「よし、まずはお風呂に入ろう」

 気持ちをスッキリサッパリさせてから料理しておかずの作り置きをして、英語の予習も済まさなければ。ちんたらしている時間はない。毎日夜九時には、父から電話がくる事になっている。それまでにいくらでもできる事を済ませておきたい。ちゃんとやる事はやっていると知らせて、安心させたいからだ。

 桜は末っ子ではないが、なぜか家族から心配されがちだ。両親や兄、姉から心配されるのはまだ分かるのだが、妹の桃にまで「お兄ちゃんはどこか放っておけない」なんて言われてしまう。桃は年の割にしっかりしていて、桜の方が「末っ子っぽい」なんて言われる事もしばしばだ。

 そんな自分を卒業したくて、早く自立したいと思うようになった。

 

 兄の柳(なぎ)は英語の勉強のためにイギリスへ留学し、しっかりと語学を身に着け同時通訳できる程の実力を手にした上、そこで出会った女性のハートをガッチリつかんで結婚にまで至ったようなしっかり者の男前なのに、自分とのこの違いは何なのだろうと思ってしまう。

 兄は桜にとって憧れだ。彼のような頼れる男になりたいというのが、桜に一人暮らしを決心させた一番の理由だった。

 そしてそうなるためには、一つ一つの積み重ねが何より大切なはずだ。自分は、頭が良くて何でもこなせる兄のような人とは違う。とにかく地道に努力していくしかない。

 

(先輩に愛想つかされないためにも、頑張らないと)

 最初は可愛いと思ったけど子どもっぽさが目立って飽きちゃったよ、なんて言われた日には、落ち込んできっと立ち上がれなくなってしまう。先輩とはどうせ釣り合わなかったんだ、なんて簡単には思えない。

(俺も柳兄みたいだったら、先輩と付き合う事になっても絡まれたりしなかったんだろうなぁ…)

 二年の先輩が「ふざけるな」と教室まで乗り込んで来た事を思い出して、そんな事を思う。……ダメだ、またネガティブになっている。さっさと風呂に入って気持ちを切り替えよう。

 

 風呂の湯量を確認してスイッチを入れて、下着の換えを用意する。風呂は二日に一度湯を交換して、残り湯は洗濯に使う。こうすれば無駄が減る。これも母の知恵だ。

(俺、少しは自立に近づけてるかな)

 もっともっと頑張って、早く彼女に釣り合うような男になりたい。

 そんな新たな目標に、桜はほんのり嬉しくなった。とても、ではないのは、不安も大きいからだ。それでも嬉しさだってある、ちゃんと。

 今はそれでいい。

 少しずつ、一歩ずつ進めたらいい。

 

(それでいつか、もっとちゃんと先輩に告白しよう)

 今日は、はっきり「好きです」と言う事ができなかったから。その言葉を、ちゃんと伝えられる男になりたい。

(先輩、待ってて下さいね)

 桜は胸に手を当てて、心の中でそっと、晴夏にささやいた。

 

29.勘違い

27.嬉しくて、くすぐったくて

 

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