部長の怒りとその理由 (桜田桜の日常9)
今日はいよいよ調理実習だ。
食材は昨日の内に買い調理実習室の冷蔵庫に入れているから、当日に学校へ持って行く物はエプロンくらいだ。
桜が登校すると、花岡が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「おっすサクラ!なぁ、今日調理実習なんだろ?何時頃に終わる?」
「おはよ。作ったもの食べて片付けもしてだから、六時過ぎるよ」
「それなら、部活終わった後ギリギリセーフで見学行けるわ!その時にコレ出すよ!」
コレ、と花岡がヒラヒラさせたのは、入部希望書だ。
「お前、やる気満々だな」
「おうよ!だって、料理なんかした事なかったお前だって、もうあんなに上手くなったんだろ?!俺も上手くなって、彼女をあっと驚かせてやるんだよ!年上だからっていっつも俺の事バカにしてくるから」
「な!お前、そういう動機だったのか!」
評価が上がるからなんて言っていたけどそれは口だけで、てっきり彼女に尽くす為だと思っていたのに!
「え、俺ちゃんと言っただろ?何でそんなガッカリしてんの」
「だって俺、ポイント稼ぎなんてのはただの建前で、本当は大好きな彼女の喜ぶ姿が見たいから料理を覚えたいんだと思ってた!」
「そりゃ、付き合ってるんだから好きだけど。俺の彼女は、それくらいじゃ感動しないと思うし。て言うか、何かサクラちゃん怒ってない?」
「別にっ。俺のせいでお前が入部できなくなったら大変だなんて気負ってたのに、そんな必要なかったのかもだなんて思ってない!」
「何だ、そうだったのか。そんな事、気にしなくて良かったのに。悪かったな、ごめん。でもサンキュー」
花岡が真っ直ぐに気持ちをぶつけてくるから、桜は心の中ではもう怒りなんてなかったけれど、照れくさくて「もういいよ」とだけ短く言って、そっぽを向く。
「サクラちゃーん、怒った?ごめん、悪かったって」
「怒ってない」
「その割にはこっち向かないじゃん。怒るなって、機嫌直せよ!」
言うなり、花岡は桜に抱きついてきた。
「うわっ、何すんだっ?!」
「キャーッ、花岡がサクラ君にハグしてる!」
途端に近くの女子が騒ぎ出し、なぜかスマホを構えている子もいる。
「ちょっ、タンマ!スマホダメ!」
桜は叫ぶが、花岡は女子に叫ぶ桜の様子がいつもと同じなので機嫌が直ったと思って気分がいいのか、放そうとしない。
「おい、放せよ!」
「いいじゃん、少しくらい撮らせてやれば」
「やだよ!」
桜は、もともと写真が苦手だった。
カメラを向けられると、どんな顔をしたらいいのか分からなくなるのだ。
その上、明らかに体格差のある花岡に拘束されているような場面だ。撮られたいはずがないではないか。
「ごめんサクラ君、一枚だけだから!花岡もそれなりにイケメンだし、二人の写真ってなかなか絵になるのよ!」
「そうそう!好きな芸能人が目の前でハグしてたら、写真撮るじゃない!そんな感じと思ってよ!」
「俺は芸能人じゃないし、写真もヤだ!」
朝っぱらからテンションが上がる女子に合わせて桜も怒鳴ったが、なぜか「やーん、もうチョー可愛い!」とさらにヒートアップする一方だ。
「な、何が可愛いんだよ!」
「ほら、顔赤くしちゃって可愛い~!」
「もう、ほんとすごい絵になってる~!」
「絵になってるだってさ。良かったな、サクラ」
「なってる訳ないだろ!お笑いだよお笑い!完璧にコントだコント!」
芸能人だとか言っていたし、きっと彼女達はそういうノリなんだ!
その証拠に、スマホでカシャカシャ撮っていた子だけでなく周りの女子も男子達も、みんな笑ってこちらを見ている。
「コントならコンビ名決めないとな!『花サクラ』なんてどうだ。花岡とサクラをミックスさせた」
「わあっ、いいじゃんいいじゃん!」
面白がってヤジを飛ばす声に花岡がそう返すので、もはや収集がつかなくなる。
みんなが喜ぶから、調子に乗った花岡は当たり前のように桜を放そうとしない。
一応抵抗はしたが、本気で暴れたのに力でかなわず解放されなかったとなると、後々自分にいい影響があるとは思えず、桜は仕方なく諦めた。
その時だった。
「桜田君はいるかな。部活の事で連絡が…」
部長が教室の入口に現われ、桜を見て絶句した。
「キャッ-!晴夏(せな)様よ!」
またもや黄色い声を上げる女子。
(晴夏様…?)
確かに部長はかなりの美人だけれど、まさかそんな風に呼ばれていたなんて。
彼女こそ、芸能人レベルの人気ぶりだ。
あの部長の性格は、男子では好みが別れても、女子には受けがいいのだろう。
(何せ、少女マンガの王子様だもんな)
桜が一人で勝手に納得していると、部長がツカツカとこちらに歩み寄ってきた。
「うわっ…」
花岡が緊張し、あろう事か桜に回した腕に力を込める。
「おい」
文句を言おうと桜が花岡を見上げると、彼は顔を真っ赤にさせていた。
ボーッとして部長に見惚れ、桜をギュッと抱きしめる形になっている事にも気づいていないらしい。
「サクラ君!君は学校で、なんていかがわしい事を!」
桜の目の前まで来た部長は、そう言って桜の鼻先に人差し指を当てた。
「は…?!」
「き、君はその男が好きなのかっ?!ダメだ、私はそんなの認めないからな!」
「なっ、何言ってるんですか?!」
「そんなに真っ赤になって、やっぱりそうなのか!」
「違います!」
「ええい黙れ、さっさと離れろ!」
部長は喚いて桜の腕を掴み、花岡を見た。
その瞬間…喚いていたはずの部長の纏う空気が、一瞬で凍った。
「おい貴様。さっさと、私の可愛い桜から離れろ」
聞いた事もないドスの効いた低い声と、その思わず息さえひそめてしまう威圧感に、桜の肝が冷える。
『私の可愛い桜』なんて聞き捨てならない言葉なのに、そんな事より花岡から離れるのが先決だと思えた。
花岡はと言えば、恐怖と驚きとが入り混じっているらしく、機械的にカクカクとした動きで腕を離す。
「早くこっちに来なさい!」
部長が両腕で桜を花岡から引きはがし、そのまま後ろに跳んだ。
「うわっ?!」
桜は引きずられるように跳んだので、バランスを崩して転ぶかと思ったが、部長に支えられてどうにか堪えた。
しかし、クッションのように背中に当たった部長のやわらかな胸の感触や、しっかりと回された両腕に感じる彼女の重み、さらに温もりや息遣いなども伝わってきて、桜のキャパは軽くオーバーした。
「うわあぁぁっ…!」
あまりの恥ずかしさに、桜は身をよじって部長から逃れる。
「な、サクラ君!」
部長の声が聞こえたが、桜は教室を飛び出した。