追いかけっこと、告白と (桜田桜の日常10)
(何を考えてるんだよ部長!)
桜は走りながら、困惑していた。
もう始業が近いせいで、大勢の生徒とすれ違う。
その度に生徒達は、猛ダッシュで逆走する桜を何事だろうかと見やる。
生徒玄関へさしかかり、人の数がさらに増えたが、桜は構わず突っ切った。
こんな所をダッシュしているから、みんな驚いて足を止める。
ぶつかりそうになる者もいたが、桜は反射神経でよけた。
ぼうっとしているなんて言われる事もある桜だが、それはただ考え事をしているだけで、やる時はやるのだ。
「待ちなさい、サクラ君!廊下を走るんじゃなーい!」
そして、やはり猛ダッシュで、桜の名前を呼びながら、腰にも届く長い黒髪を振り乱し追いかける部長を、多くの生徒が驚愕の表情で見つめた。
「ちょっ、今の晴夏(せな)様じゃない?!」
「うん、間違いなく晴夏様よ!」
「何で男子を追いかけてるの?!」
「今まで多くの男子を振り続けた晴夏様が追いかけるって、どんな男?!」
「分からない、ダッシュしてるからよく見えなかった!」
「キャーッ、私達も追いかけましょ!」
「どっちに行った?!」
「あっちあっち!」
「これは大スクープよ!」
こうして、桜の知らない間に事は大きく変化していく。
一方桜は、職員室のあるA棟の階段を駆け上がっていた。
「はぁっ、はぁっ」
息が切れるが、止まる気にもなれない。
「桜っー」
ダッシュで追いかけながら、部長が桜の名前を呼ぶ。
ずっと「サクラくーん!」と言っていたのに、長く叫ぶ事が難しくなってきたからなのか、部長は名前を呼び捨てにしている。
(何で呼び捨てなんだよ!)
桜は走りながら、それを不服に思った。
さっきだって、『私の桜』なんて言っていたし。
人前で、抱きしめるし。
(いや…抱きしめた訳じゃない?)
花岡から引き離そうとしただけかもしれない。
(でも、何で?)
最初は驚きと戸惑いが猛ダッシュの源となっていたが、しかし階段を駆け上る内に、だんだんと冷静さが戻ってきた。
四階までくると、最上階だからもう上はない。
ついに立ち止まり、両膝に手をついて肩で息をしていると、部長が追いついた。
「はぁっ、はぁっ、な、にをして、はぁっ、るんだ君は!」
やはり膝に手をつき息を整えながら、部長は桜を軽く睨んだ。
「公衆の面前で、廊下を猛ダッシュなんて!」
だいぶ息が整った彼女がそう言うので、桜も負けじと返す。
「先に公衆の面前で抱きついてきたのは部長ですよね?!」
「あれは抱きついたんじゃなくて、あの男から引き離しただけだ!」
ああ、やっぱりそうだったのか。
桜はそう思ったが、表には出さない。
他にもまだ言いたい事があるのだ。
「何で引き離す必要が?!あんなの、友達同士でふざけ合ってただけじゃないですか!それなのに、『その男が好きなのか』とか、訳の分からないこと言って!それも、みん
なの前で!」
「ついカッときたんだよ!君が、あいつの腕の中で赤い顔なんかしてるから!」
「な、何ですかその言い回し!腕の中って、変な言い方しないで下さい!」
「だってその通りだったじゃないか!ハグなんて一瞬すればいいものだろ?!なんであんなにする必要があるんだ!」
「あれは、女子達が面白がって写真に撮りたいって言ったからです!それで花岡が、それくらいはいいだろうって!俺だって、本当は写真なんて好きじゃないし、恥ずかしいし、真っ赤にだってなりますよ!」
「じゃあ嫌だったのか?!」
「嬉しい訳ないでしょう?!」
「そんなの分からないじゃないか!私は君じゃないんだから!」
部長の言葉に、桜は両目を見開いた。
それは確かにその通りだが、まさかそう返されるとは思ってもいなかった。
返答に詰まる桜に、部長は勝ち誇ったような顔で迫る。
桜は下がるが、もともと部長との距離はほとんどなかったので、再び『窓ドン』になってしまった。
「ふふ、また窓ドンだね」
またもや窓枠に手をつき、先程までとは打って変わった喜々とした表情で、少し低い場所にある桜の顔を見下ろす部長。
「な、何ですか」
桜は強気を装ったが、この顔の部長には弱い。
さっきまでは余裕がなかったのに、何がきっかけでいつもの部長に戻ったのだろう?
至近距離に部長の整った顔があり、桜はどこを見ていいのか分からず、顔を背けて横を見る。
「サクラ君。私はね、君が可愛いんだよ。何せ、唯一の新入男子部員だ。入部の動機も気に入った。君には頑張ってもらって、しっかり料理も上達してほしいと思ってる」
「…はい」
思いがけず真面目な話で、桜は後輩らしく返事をする。
「だから私たち、付き合おう」
桜はつい流れで頷きかけ、しかしその内容のおかしさに気づき、「は?」と思わず部長の顔を見る。
目が合うと、部長はこれまでの勝気な顔とは違う、嬉しそうなやわらかい笑みをこぼした。
その瞬間…桜の心臓が、大きく跳ねた。
恥ずかしいはずなのに、その笑顔から、目が逸らせなくなる。
「やっと私を見てくれた。君はいつも、私を真っ直ぐには見てくれないから」
それはそうだ、と桜は思った。
部長の勝気な笑顔は苦手だし、彼女は美人だ。
雑誌に出てモデルをやっていてもおかしくないくらい、テレビのCMに出て街中にペタペタとポスターが貼られていても不思議はないくらい、スタイル抜群で綺麗なのだ。
そんな人を、平気で直視できる男なんてそうそういないだろう。
「サクラ君。私ね、君が好きだよ。だから、目を逸らさないでもっと私を見てほしい」
「え……?」
桜は、吐息を感じる程の距離にいる部長を意識し過ぎて、彼女の言葉はちゃんと耳を通過したけれど、頭に到達したそれをすぐに理解する事はできなかった。
「だからね、私は君が好き。桜田桜という名前の、男の子が好き」
ゆっくりと紡がれた部長の言葉は、じんわりと水が染みるように、桜の心にも沁み始める…。
「早く一人前に、なりたくて。料理も頑張って覚えようと、人一倍張り切ってて。真面目で、一生懸命で。そんな君が、好きになった。目で追わずに、いられなくなった。もっと一緒にいたいって、初めて思ったんだ。だから――君と、もっと一緒にいてもいい?」
そう告げた時の部長の顔は、とても綺麗だった。
緊張もしているのだろうけれど、いつもの勝気な感じはなく、とても透き通った、美しい水のように思えた。
決してふざけたりからかったりしているのではなく…真っ直ぐな彼女の気持ちだと、感じられた。
だから、なのだろうか。
桜の頭は真っ白で、どう答えたらいいのかも、分からなかったけれど。
ただゆっくりと、頷いていた。
気の利いた言葉なんて、思いつかなかったけれど。
でも、だからこそきっと、これは桜の、心からの言葉だ。
「俺で良ければ…喜んで」
桜の返事に、部長はただ微笑んだ。
(ああ…まただ)
その笑顔を見て、桜は思った。
また、あの綺麗な笑顔だ。
目を逸らせない、吸い寄せられ、惹きつけられる笑顔…。
心が、まるで春の日差しのように、温かくなる笑顔…。
(ああ…。俺、部長が好きなんだ…)
ふわふわとした感覚に包まれながら、桜は静かに目を伏せる。
「桜…?」
「恥ずかしいです…」
「どうして?」
優しく問う部長に、桜は聞いた。
「部長は…恥ずかしくないんですか?」
「私は、嬉しいよ。だって、君が付き合ってくれるんだ」
付き合う。
部長の言葉に、桜は改めて実感した。
彼女の言う『一緒にいたい』は、やっぱりそういう意味なんだ。
それなら、色気も素っ気もなく『部長』ではなくて、名前で呼んだ方がいいのかな。
みんなの前ではともかく、二人の時は…。
彼女の名前は、葛(かつら)晴夏。
(じゃあ…葛先輩?それとも…)
「桜、何考えてるの?」
部長の声に、桜はハッとした。
いけない。悪い癖が出た。
桜はいちど思考を始めると、状況も忘れてそこにはまってしまうのだ。
今のように、とびきり美人な彼女が、目の前にいるような状態でも。
いや――逆に、あまりに緊張する状態だからこそ、逃避の為に思考へと走るのかもしれない。
「桜…。こんなに隙だらけの姿を、君を好きだと言う人間の前にさらしちゃいけないよ。何をするか、分からないんだから」
「え…」
「世の中、いい人ばかりじゃないんだよ?早く自立したいんだったら、その辺もしっかりしなきゃね?」
部長はそう言って、右手で桜の髪に触れた。
「走ったから、乱れちゃったね。汗もかいてる」
彼女は桜から少し離れ、スカートのポケットからハンカチを取り出し、桜の頬にそっと当てる。
「あ…すみません」
「ありがとう、って言ってくれた方が嬉しいな」
「ありがとう…」
「うん、どういたしまして」
彼女が嬉しそうに笑った時、予鈴が鳴った。
「あ、ホームルーム」
桜は部長の言葉に腕時計を見て、目を疑った。
「部、先輩!ホームルームじゃなくて、授業ですよ!」
「本当だ。予鈴、鳴っていたっけ?」
ホームルームの開始前にも、予鈴が鳴るはずなのだ。
階段を駆け上ったり言い合ったりしている内に、二人そろって聞き逃してしまったらしい。
「早く戻りましょう!」
桜は慌てて、とっさに彼女の手を掴んだ。
「え、桜?」
「早く!三年生は、遅刻なんてしたらまずいでしょ?!」
「大丈夫だよ、一回くらい」
「いいから!」
「うん」
なぜか彼女はなかなか走り出そうとしなかったが、桜が繰り返し急かすと嬉しそうに頷き、桜の手をギュッと握り返した。
(あ…)
そうか、だからか。
手…嬉しいって、思ってくれたんだ…。
遅れてその事に気づいた桜は、とにかく早く教室へ向かう事に集中し、どうにか恥ずかしさを誤魔化そうと試みたのだった。
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