花岡が語る幼稚園時代(桜田桜の日常14)
三時間目が終わった。
挨拶が終わると、桜は教科書もしまわず、真っすぐに花岡の席へと向かう。
「さっきのどういう事?!俺、いくら考えても分からなかったんだけど!」
机に両手をついて迫る桜に、花岡が驚いた顔をした。
「サクラ、ちょっと落ち着けよ」
「落ち着いてるよ!でも、授業の間ずっと考えてもどこで会ったのか分からなかった」
「え、ずっと考えてくれたのか?ごめん、余計なこと言ったな」
「別に余計じゃないけど。それで、どこで会ったんだよ?」
授業が終わるなり花岡に詰め寄る桜に、クラスメイト達も注目している。
そんな中で、花岡は重大発表でもするかのように、こほんと一つ咳払いした。
「なんか緊張するなこれ…」
「いいから早く話せ」
桜ではなく、イライラし出した深山がそう言った。
深山は、普段大人しい事や細身でソフトそうな外見から『気長で優しそう』と言われる事が多いが、実は意外と短気なのだ。
「そう睨むなよ深山っち。ちゃんと話すからさ。そう…あれは、俺がまだ幼稚園の頃…」
「おい、変にカッコつけるな」
眉間に寄ったしわがピクピクと動き始めた深山に、花岡はごくりと唾をのみ込んだ。
「ごめん、普通に話す。えっと、別にそんな特別な事じゃなくて、ありがちな事なんだけど。俺の親父が仕事の都合で引っ越すまで、俺はサクラちゃんと同じ幼稚園に通ってたんだ」
「ええっ?!」
桜は大声を上げた。
同じ幼稚園に、花岡が通っていた?
「俺、全然記憶にないんだけど!」
「そりゃそうかもな。当時の俺って、小さくて影の薄い、地味な子どもだったから。サクラちゃんはいつも元気で走り回ってて友達もいっぱいいたし、そんな目立たない子どものこと覚えてなくても無理ないって」
「うっ…ごめん」
「いや、別に今の責めた訳じゃないから。サクラちゃんの様子からして、多分ほぼ間違いなく覚えてないだろうと思ってたし」
「花岡は、すぐに俺だって分かったのか?」
桜の問いに、花岡はニカッと笑顔を見せた。
「そりゃ分かったよ!なんたってサクラちゃんは、俺の初恋の人だったからな」
「は…初恋?」
え、初恋って何だっけ。と大真面目に考える桜の横で、桑尾が「マジかよ」と呟いた。
深山は、いっそう眉間のしわを深くする。
「おい、花。お前まさか…」
しかし彼の低い声は、一拍置いて起きたクラスメイト達の「えぇ~っ?!」という絶叫にかき消された。
「ちょっとどういう事よ花岡!」
「あんたまさか、今でもサクラ君の事?!」
「やたらサクラ君にハグしてると思ってたけど、そういう理由だったの?!」
主に女子からの質問攻めに、花岡はイスを蹴るように立ち上がり、「待った待った待った!」と大声で制す。
「さっきのは言い方が悪かった!落ち着いて聞けよ!あのな、確かにサクラちゃんは俺の初恋の人だったけど、それはサクラちゃんの事を女の子だと思ってた間だけだ!」
「それって要するに、サクラ君って小さい頃メチャクチャ可愛かったって事?!」
「女の子と間違えるくらいに?!」
「可愛かったよ。あの頃は女の子にしか見えなかった」
「きゃー!」
「やだやだ、すっごいお宝話じゃない!」
「やっぱサクラ君かわいかったんだー!」
クラスメイトからの視線を一斉に浴び、桜は赤くなった。
「きゃっ、すっごい照れてる!」
「可愛い~!」
「それでそれで?!女の子じゃないって気づいたのはいつなのよ?!」
「まさか、思わぬ再会をして初めて…」
「いや、それはない。オイシイ展開じゃなくて悪いけど。当時、俺はサクラちゃんを見て可愛い女の子だと思って、いっつも見てたんだ。明るくていい子だなって。でも、ある日トイレで立ちションしてるの見た時に、一気に恋心が砕け散った」
「ぎゃはははは!」
教室中に、笑い声が響き渡った。
「そりゃマジショックじゃん!」
「かわいそー!」
「おう、すっごいショックだった。まだ小さかったけど、立ってオシッコするのは男だけって分かってたからな。髪にリボンのピンとかつけてる癖に何で男なんだよ!って、一時すごい恨んでたよ、サクラちゃんの事」
「えーっ!」
「て言うか何よリボンのピンって?!」
「スカートとか履いてたの?!」
「や、スカートは履いてないよ!ピンは姉さんがつけたがって、外したらダメって言われてたから仕方なくつけてただけ!」
このままでは女装趣味があると思われそうで、桜は焦って説明した。
「お姉さん、どうしてリボンつけたがったの?弟なのに」
「妹みたいに可愛かったからじゃない?」
「いや、ほんとは妹が欲しかったからだよ。俺が生まれた時、女の子じゃなくてすごくガッカリしたんだって。口数も減ったらしくて、心配した両親が、髪飾りだけならつけてもいいよって言ったって聞いてる」
「じゃあ、服は男の子用だったの?」
「うん」
「ふーん」
「でも、リボンのピンつけてたから花岡は女の子だと勘違いしたと」
「うん…」
そう言えばそうだったな…と、桜は当時に思いを馳せる。
男の子からは『さくは女だー!』とからかわれたし、女の子の中には本気で桜が女の子だと勘違いしている子もいた。
『さくちゃんをいじめないでー!』
『男の子は、女の子をいじめちゃダメなんだよ!パパがゆってたもん、男は女をまもらなくちゃダメだって!』
『さくちゃんは女の子なのにスカートはかないの?』
『さくちゃんもおひめさまごっこしよ!』
そう言って桜の腕を引く女の子達はとてもエネルギッシュで、男の子達は仕方なく引き下がる事もしばしばだった。
そしてあの中に、花岡もいたのだ。
桜は覚えていないけれど、リボンのピンをつけていた事まで知っているのだから、間違いない。
「花岡…。俺、マジで覚えてなくてごめん」
「いや、そんな昔のこと気にするなって。て言うか、俺も忘れてたし。入学式の日、なんとなーく顔に見覚えがあって、もしかしてと思ったら名前が桜田桜だったから、ああやっぱりなって。ろくに話した事もなかったし、サクラちゃんが覚えてなくても当たり前なんだって」
「…そうかな」
「そうそう。それに、さっき恨んでたなんて言ったけど、それはほんとにちょっとだけだからな?本当は、ずっとお礼を言いたかったんだ。結局何も言えないまま、引っ越しちゃったけど」
「え…」
お礼って、どうして?
桜が瞳を向けると、花岡は微笑んだ。
「サクラちゃん、俺が『チビ』って苛められてた時、『やめろよ!人がいやがることはやっちゃダメなんだぞ!』って…こう、両腕広げて俺の前に立って、守ってくれたんだよ」
花岡は、両腕を大きく広げて見せながらそう言った。
「サクラちゃんだって、俺とほとんど変わらなかったのにさ。あの時、サクラちゃんの背中見ながら、カッコいいなって…俺も、カッコいい男にならなきゃダメなんだって思った。それからかな。思い切って自分から人に話しかけたり、できるようになったのは。それまでは本当に内気で、目立たない子どもだった」
「へー!」
「いい話じゃん!」
「成程。では、今の君がいるのは桜のお陰とも言える訳だな」
「ああ、確かにそうとも言えるかな…」
花岡は、珍しく照れて頭を掻く。
「話は分かった。しかしだからと言って、君に桜はやらないからな。まさか初恋の人だなんて、まったく…」
桜の肩に腕を回し、軽く抱き寄せながらそう言ったのは。
「キャーッ、晴夏様とのツーショットよ!」
「カメラカメラ!」
「やだーっ、悔しいけど超お似合いじゃなーい!」
「晴夏様、もうほんとに素敵すぎ!」
「サクラ君かわいー!」
「ハハハッ、サクラ首まで真っ赤だぞ!」
一体いつ来たのか、なぜか当たり前のようにいた晴夏が、花岡に笑顔を見せる。
「料研に入るのは君だな?待ってるからいつでもおいで」
「あっ、ありがとうございます!」
「桜に手出ししないか、しっかり見張ってやる」
「えぇっ?!」
花岡は両目を見開いたが、晴夏の視線はすでに桜へと移っていた。
「桜。ランチを一緒にどうかな?」
「えっ…らんち?」
「そう、ランチ。一緒にどう?」
「はい…」
桜は恥ずかしさを通り越し、ぼんやりしながら自分の席へと向かおうとする。
「あっ、まだだよ!四時間目が終わったらね?」
「あ…はい」
「秘密のいい場所、知ってるんだ。迎えに来るから、待っててね」
「はい…」
「じゃあ、もう四時間目始まるから行くね」
晴夏は桜の耳元に顔を近づけ、最後にこうささやいた。
「顔が真っ赤だから、洗っておいで」
「!」
その言葉に、桜は夢から覚めたようにハッとする。
さっそうと教室を出ていく晴夏の後ろ姿を見た桜は、何かのスイッチが入ったように彼女を追った。
「待って!」
「桜?」
驚いた顔の晴夏に、桜は「ありがとうございました!」と頭を下げた。
「え?」
何が?と首を傾げる晴夏。
「花岡の部活の事です!」
「ああ。私も、君には嫌われたくないからね」
晴夏はそう言って、ウインクした。
「キャーーーッ!」
廊下にいた女子達の悲鳴が、ずっと向こうの壁や、階段までにも響き渡った。