秘密の場所で(桜田桜の日常16)
「ほら、素敵な場所だろ?!」
晴夏は、『秘密の場所』に着くとそう言った。
そこには、大きなモクレンやイチョウの木などが植えられ、ちょこんと茶色いベンチが一つ置かれていた。
ベンチは雨風にさらされてだいぶ古び、あちこち傷がついている。
木の向こうにはひっそりと裏門があり、そのさらに向こうには細い道と、広い田んぼ。
ぽつんと置かれたベンチの後ろには校舎がそびえ、木も大きく育ったせいで、もともと広くないだろうこの場所は、ますます狭いイメージを抱かせる。
うっそうとしてはいるけれど、しかしどこか都心部にある小さな森を思わせた。
「ここはね、去年私のクラスが掃除を担当していた場所なんだよ!みんなはひっそりしていて好きじゃないなんて言っていたけど、私は落ち着きたい時にはいつもここに来るんだ!」
「へー…」
「あんまり気に入らない…かな?」
不安げな瞳で顔をのぞかれ、桜は首を横に振った。
「気に入りました。ただ、ここに来て用事を思い出してしまって…」
「え、用事?」
「ここって、裏庭ですよね?俺、今日の昼休みここに来いって、先輩から呼び出されてたのすっかり忘れてました」
「呼び出し?!」
桜の言葉に、晴夏は眉根を寄せる。
「一体誰から?!男女どっち?!」
「女です」
「じゃあきっと告白する気だ!」
「は…?違いますよ」
「どうしてそんなことが言えるんだ?!私が君に告白したと聞いて、焦って告白するつもりなんだよきっと!」
桜はがっしりと右肩を掴まれ、「違いますよ」と苦笑する。
「呼び出したの、先輩のファンの人ですよ」
「え、私のファン?!じゃあまさか、君を締める為に…」
そのあまりに直球な表現に、桜は思わず笑ってしまった。
「今朝、教室に来て文句を言われたんです。みんなもいるし、話があるなら場所を改めてほしいって言ったら、裏庭に来いって言われて。ただ、最初に文句を言ってきたグループのリーダーはもういいって言っていて、呼び出したのは多分ナンバー2的な人だと思うんですけど」
「グループって…もしかして、二年の有名な不良グループの事?」
「はい」
「やっぱり…。彼女達、前に私に突っかかってきたから、反撃した事があるんだよ。それ以来、妙に親近感を持たれているというか、気に入られてしまったらしくてね。『晴夏様』なんて呼び始めたのも彼女達だし」
「え、そうなんですか?」
「意外そうな顔してるね」
「はい。てっきり、ミーハーな女の子達が呼び始めたと思ってました」
「それが違うんだな。…とりあえず、そこのベンチに座ろうか」
立ち話もなんだし、と、晴夏はベンチに近づき、手でその上を払った。
「あ!」
しまった、先輩にさせてしまった。
そう思った桜は声を上げたが、晴夏は全く気にも留めていない様子で、「さ、早く座ろう!」と笑顔で手招きする。
「はい」
桜が座ると、晴夏は嬉しそうに隣に腰かけた。
積極的な彼女だからぴったりと接近されるのではと桜は身構えたが、晴夏は少し間をあけて桜の横顔をじっと見つめる。
「あの…。そういう訳なので、その人達がここに来るかもしれないです」
桜がどうにかそう切り出すと、晴夏は「分かった」と頷いた。
「でも、私の予想では多分来ないよ」
「え、どうしてですか?」
「だって、リーダーはもういいって言ったんだよね?それなのにここへ来たら、リーダーよりもナンバー2の方が上って事になってしまうじゃないか」
「あ…。いやでも、ナンバー2が個人的に来るかもしれないし、リーダーには秘密にして行動するかもしれないし」
「それもあり得るけど、みんなの前で呼び出しなんてしたら、リーダーの耳にも入っている可能性が高いと思うけどな。
多分、ナンバー2としては、リーダーが引き下がった事が気に入らなかったんだろうね。このままではカッコがつかないと思ったんだろう。
でもリーダーの立場を考えれば、自分がもういいといった以上、グループのメンバーを行かせる訳にはいかない」
「なるほど…」
今度は桜が、晴夏の顔を見つめた。
頭のいい人だと思っていたが、人間観察もしているのだと思った。
伊達に、部長という立場にいないのだとも思った。
そんな思いを持って晴夏を見つめる桜の瞳は、本人も気づかない内に、熱っぽいものとなっていた。
それを、晴夏が感じないはずはない。
「まあここにいれば、彼女達が来ても対応できる訳だし。お弁当、食べようか」
「はい」
花岡達がついて来ると言った時には必要ないと断った桜だったが、晴夏と一緒に過ごす事には異論なかった。
彼女がここへ連れて来たのは偶然だったし、一緒にお弁当を食べる時間も大切にしたいと思ったのだ。
(あれ…。でも本当に偶然なのかな)
さっき彼女は、『みんなの前で呼び出したのなら、リーダーが知っている可能性は高い』と言っていた。
それは、晴夏にも当てはまる事ではないだろうか。
実は今朝の件を知っていて、それで一緒にお昼を食べようと誘った…?
場所もわざと、ここを選んで。
桜は、鼻歌を歌いながら弁当の包みをほどく晴夏の様子を伺った。
本当に機嫌がいいようで、何かを隠している素振りはない。
「桜は食べないの?」
じっと動かない桜を不思議に思ったのか、晴夏がわずかに首を傾げる。
「食べます」
桜は、そんな彼女に笑って見せた。
気にならないと言えば、嘘になる。
本当は、どちらなのか。
今朝の件を、すでに知っていたのかどうか。
でも、今の時間を思えば、それはどちらでもいい事のように思えた。
例え知っていたとしても、『行くな』と言うのではなく、何も知らないフリをして一緒に中庭で過ごす事を考えてくれたのだ。
それはそれで嬉しいし、本当に何も知らずにここへ誘ってくれたのなら、それはまたある意味すごい事だと思う。
まだ出会って間もないはずの彼女、苦手でたまらなかったはずの彼女。
でも、素直に自分の心に向き合ってみれば、それは過去となって、新たな絆が生まれていく。
それをまた不思議だと感じながら、桜は弁当の包みを開けた。
「桜、明日から、お弁当をとっかえっこしない?そしたら、お互いに味の感想を言い合えるし、腕の上達にもつながると思うんだ。毎日デートだってできる」
えへへ、と照れ笑いを浮かべて頬をかく晴夏に、桜は微笑んだ。
「おいしく作れるように、頑張ります」
「良かった!私も頑張るから、楽しみにしててね」
「はい」
桜は頷き、顔を上げた。
イチョウの木がつくる木陰は、きっと夏場には本当に心地よく、通り抜ける風が、やさしく肌を撫でるだろう。
「いい場所ですね」
「気に入ってくれた?」
「はい」
「私も、君と一緒だといつもの何倍も居心地がいいよ」
「なっ…何言ってるんですか」
そう言えば彼女はこんな人だった、と思いつつも、悪い気なんかするはずもない桜だった。