縞衣の小説ブログ

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七海の課題(岩尾七海とSevenSea2)

「さて、掃除しますか」
 美容室は清潔さが重要だ。汚い美容室でカットしたいと思う人はいないからだ。いくらでもお客様に気持ちよく過ごして頂けるよう、閉店後に掃除し、開店前にも掃除する。
 掃除する事で気持ちのリフレッシュにもなるから、七海は掃除が好きだ。自分の美容室を持てたという実感も湧いて、ますます綺麗にしたくなってくる。
 お客さんがまた来たいと思って下さるような空間づくりは大切だ。掃除はその基本だが、インテリアを考えるのもまた楽しい。『SEVEN SEA』はお客さんの年齢層が広いため、老若男女問わず受け入れてもらえるよう、シンプルで温かい空間を目指している。


 カット用のクロスを洗濯機にかけている間に、レジを閉め、掃除を終わらせる。洗いあがったクロスを干すと、服を着替えて帰り支度をする。脱いだ服は脱衣カゴに入れておき、翌朝に洗濯している。
 ちなみに、七海の仕事着は作務衣だ。最初はシャツとジーンズという格好だったが、なんとなく試してみようと作務衣を着てみたところ、動きやすいしお客さんからは似合ってると褒められるしで、すっかり気に入ってしまったのだ。
 履物はスリッポン。作務衣と合わせても意外としっくりくる。これは仕事用を用意しているので、帰宅する時は別の靴に履き替える。


 『SEVEN SEA』は、もともと小さな雑貨店を営んでいたテナントを借りて経営している。駐車スペースも限られている為、通勤用の車は近くに借りた月極駐車場に停めている。
 近くに安いアパートを借りて徒歩通勤する事も考えたが、「せっかく地元に帰って来たんだから家から通ったら」と両親に強く勧められ、お言葉に甘えさせてもらう事にした。


 七海は高校卒業後、上京して美容師専門学校に入学した。美容室でアルバイトをしながら通い、卒業後、アルバイト先の美容室に正式に就職。数年間そこで腕を磨いた後、カット専門美容室でまた数年働き、独立する為に退職した。
 戻って来た時、母はうっすらと涙すら流して喜んでくれた。父も、満面の笑顔で迎えてくれた。
 姉は結婚し家を出ているが、七海が帰って来た時には、一家で駆けつけてくれた。幸い、甥っ子・姪っ子たちにも気に入られ、義兄からも仲良くしてもらっている。お店をオープンする時には、手伝いにも来てくれた。
 唯一うまくいっていないのは、年の離れた弟だ。


 七海には弟が二人いる。一人は二つ下で社会人だが、もう一人は一回り以上も離れており、現在高一。
 七海は八年東京で暮らした。家を出た時まだ五歳だった弟は、七海と共に過ごした時間が短く、一緒にいてもギクシャクしてしまうのだ。
 上の弟は県内の大学に進んだ為、一人っ子状態にはならなかったものの、長く離れていた兄弟にどう接していいか分からないようで、顔を合わせても彼はすぐにぷいっと行ってしまう。


(まあ、仕方ないよな)
 七海は思う。彼がなかなか自分に馴染めなくても、責める事はできないと。
(おれが兄貴だったら良かったんだろうけど。すっごい男っぽい姉だもんな)
 そう、七海は兄でなく姉だった。
 男子高校生が目をキラキラさせ、「カッコいい」と憧れる程のイケメンであるが、七海は男性ではなく女性なのだ。
 女性にしては背が高く、筋肉もつきやすい体質で、高校生の頃には完全に男子と間違われた。性格も男っぽく、一人称も自然と「おれ」だ。はつらつとした明るい性格で男女共に友人も多いが、彼らは七海をおおよそ男扱いするし、七海にとってもそれが普通だった。


 だから、男に生まれなかった事を悩んだ時期もあった。
 しかし、ある時ふと気がついた。体力にも恵まれ、日々健康に暮らす事のできている自分は、とても幸せなのだと。
 そして、七海は人に恵まれた。家族はいつでも、七海を受け入れ愛してくれた。「七海は七海でいいんだ」と言ってくれた。友人もそうだった。彼らの愛と、心からの言葉がなければ、きっと自分は心のどこかで自分を受け入れられないまま、苦しい人生を歩んだだろう。だから七海は、家族と友人にとても感謝している。今の自分がいるのは、彼らが支えてくれたからだ。


 七海は店を出ると、鍵を閉め駐車場へ向かった。店は七時までだが、洗濯や掃除を終わらせた頃には、八時近くになっている。家までは車で十五分程だ。
 駐車場は道を挟んだ反対側にある。昔はこの辺りも車の量が多かったが、数年前に新しい道路が開通したおかげで、ぐんと交通量が減った。が、近くに住宅街がある為、それなりの台数は通る。
 あまり車の行き来が激しい場所だと、出入りがしづらいからと客足が遠のく原因になり、逆に少なすぎると人の目に留まらない。だから実にいい場所に店を出す事ができたと、七海はとても満足している。近くの住宅街から、徒歩で来られるお客さんも少なくない。


 通る車もなく、七海は道路を横断した。少し歩いて駐車場に着くと、ライトブルーの愛車に向かう。
 七海は運転が好きだ。東京では車を持っていなかったし運転する事もなかった為、地元ではこうして毎日運転できるのが嬉しい。本当は遠乗りもしたいが、基本的には無休で営業しているので、日々の通勤くらいにしか使えていないのは少し寂しいが。
 好きな男性グループの曲を流し、歌いながら運転していると、あっと言う間に家に着いた。


「ただいま」
「おー、おかえり」
「おかえり、七海」
「お疲れさん」
「うん」
 みんなが口々に挨拶を返してくれる中、下の弟はチラッと視線をよこしただけだった。
「夕雨(ゆう)、ただいま」
「……っす」
 かろうじて聞き取れるかどうかという声量だったが、まぁ良しとしよう。
「ちゃんと『おかえり』って言えよー」
 上の弟・伊風(いぶき)が明るい口調で諭すが、夕雨は無言でお菓子を口に入れる。伊風は帰りの都合で少し遅れて食事しているが、他のメンバーはすでにデザートタイムに突入していた。


「七海がいると、急に借りてきた猫みたいになるんだよこいつ。いつもはどうでもいい事ベラベラ喋ってるくせによ」
「…うっせ」
「兄貴に『うっせ』はないだろー。七海に言ったら張り倒されるぞ」
「何言ってるんだ、おれだって張り倒しはしないよ」
「昔はもっと血気盛んだったのに、すっかり丸くなったよな」
「寂しいなら、今からでも血気盛んになってやるけど?」
「いや、遠慮する。七海、その辺の男より遥かに強いし」
「そりゃまぁ、一応は全国で一位になりましたから?」
「――中学の時の話だろ」
 七海と伊風の会話に割り込んで、夕雨がボソリとそう言った。


「そりゃ確かに、もう十年以上前の話だけど。筋トレはしてるし、そう簡単には負けないよ」
「夕雨、七海はマジで強いんだぞ」
「関係ないし」
 ぷい、とそっぽを向く夕雨に、両親はこっそりと溜息をつき、伊風は「ガキだな」と呆れ声で言った。
「…どうせガキだよ。ごちそう様」
 さっさと席を立った夕雨は、自分の食器を台所に下げると、リビングを出て行った。


「ちゃんと食器は下げるんだな、偉い偉い」
 七海の言葉に、伊風が面白くなさそうに言った。
「俺には『それくらい当たり前だろうが馬鹿たれ』とか言ってたくせに」
「そうだったっけ?」
「そうだよ。『さっさと食器洗え』って、ガンガン尻蹴ってさ。俺の尻はサンドバックじゃないっての」
「はは、そりゃそうだ。軽くしか蹴らなかっただろ」
「風呂の時に見たら、青痣になってた事もあったんだぜ。もし本気だったら、蹴り飛ばされてたな」
「青痣?マジか。何で言わなかったんだよ」


「だってそんなの、カッコ悪いだろ。あの時は今より若かったし、七海の事ライバルみたいに思ってたから」
「あの時は?今は違うの?」
「長く離れてたしな。俺はサラリーマン、七海は美容師。職種が全然違うから、対抗心燃やす必要もないだろ」
「んー、まぁな」
「七海、お喋りばかりしてないで早く手洗ってきなさい」
 食事を温め直し終わった母が、食器によそいながらそう言った。
「はい、ただ今」


 手を洗い、あまり意味のなさそうなうがいも済ませて席に着くと、湯気を立てた食事がとてもおいしそうだった。
「いただきます」
「おかわりあるからね」
「うん、ありがと」
「不思議よね。夕雨より、七海の方が食べる量多いんだもの」
 向かいに腰を下ろした母が、七海の食事する姿を見ながらそう言った。


「夕雨って小食なの?」
「そうね、あんたたち三人の中では一番小食ね。ご飯も二杯しか食べないし、味噌汁のおかわりも一回だけ」
 あんたたち三人というのは、七海と伊風、夕雨の事だ。姉は含まれていない。
「それは小食だなぁ」
「あんたなんか、今でもご飯三杯食べるのにね」
「まあ、おれと比べるのも間違ってる気がするけど」
「でも、食べ盛りの男の子がご飯二杯は少ないでしょう」
「そうだね」


「夕雨、背があまり伸びてないこと気にしてるみたいなのよね。それで七海に対してあんな態度なのかなとも思うんだけど」
「それはあるかもね。まぁ一番の原因は、おれが男っぽすぎるからだと思うけど」
「でも、あなたが帰ってきてもう二年近くなるのよ。大概慣れてきてもいい頃じゃない?」
「父さんもそう思うなぁ」
 ずっとテレビを見ていた父が、母の言葉に賛同する。


「孝義(たかよし)君だってすぐに慣れたじゃないか」
 孝義というのは、姉の夫だ。確かに、彼はすぐに七海と親しくなった。
「孝兄(たかにい)はおれと年も近いし、おおらかな人だから」
「彼とは、夕雨もそれなりにやってるのよね。だから尚更、心配になるわ。兄弟だもの、仲いい方がいいじゃない。それに、自分の背が伸びないからってひがむのはどうかと思うわ」
「母さんそれ、かなりキツイぜ」
 伊風の言葉に「だってそうじゃない」と返す母は、夕雨に対してかなりうっぷんが溜まっているようだ。
「私だって、最初は思ってたわよ。ずっと離れて暮らしていた、自分よりも男らしい年の離れた姉に、どう接していいのか分からないんでしょうって。でも、私たちは家族よ。七海が何かした訳でもないのに、あんな風にいつまでも殻に閉じこもってるようじゃ困るわ。世の中だって渡っていけないわよ」
 うわーお、と、伊風の口がそう動いた。確かに厳しい言葉だが、夕雨を想ってこそだ。


「よし。ここはひとつ、大人のおれから歩み寄る事にしようか」
「それはいいけど、あいつの殻けっこう厚いぜ。どうするつもりだよ」
「そうだなぁ。おれは美容師だし、あいつの前髪でもカットするか。ちょっと長くなってきたし」
 お互いの距離が狭まり、会話のいいチャンスになるかもしれない。美容室では、楽しくお喋りしたいというお客さんも結構いる。
 グッドアイデア、と七海は思ったが、家族は暗い顔をした。


「え、何ダメ?」
「ダメじゃないけど、ますます鬱陶しがられないかちょっと心配だわ」
「あいついつも、自分で前髪切ってるし」
「ふーんそっか。じゃ、カッコよく切って『俺が自分で切るより全然いいじゃん』って思わせてやらないとな」
「七海、それ以前にあいつは多分『髪切ってやる』って言っても断固拒否すると思う。七海は美容師である前に家族だろ?家族に髪を切ってもらうって事が、すごく照れくさいらしいからな」


「そう?じゃあ一緒にゲームでもする?」
「七海はゲーム強いだろ。俺も昔、いっつも負けるからすごい悔しかったぜ」
「大丈夫、もうずっとやってないから下手になってるよ」
「ゲームってセンスだから、最初は下手でもすぐに上手くなると思う。ちなみに、あいつのゲームの腕は俺とどっこいどっこい」
「じゃあゲームもダメか。困ったな。腕相撲でもするか?」
「それ本気で言ってんのか?七海が勝つに決まってるだろ」
「ごめん、何も思いつかなくて。おれだって今のままは嫌だし」


「七海、おかわりは?」
「あ、お願いします。おかずもある?」
「あるわよ。さっきと同じくらいでいい?」
「うん」
 話しながらでもあっと言う間に食べ終えた七海に、母はニコニコとおかわりをよそってくれる。こうして世話を焼くのが嬉しいのだ。


「あ。そう言えばあいつ、七海の車を『カッコいい』って言ってたぜ」
 ぽんと手を打って、伊風がそう言った。
「え、ホント?」
「ああ。で、『今度ドライブに連れて行ってもらえよ』って言ったら、『そんな暇ない』って。あの時は自分が忙しいって言いたいのかと思ったけど、今考えてみると、七海に時間がないって言いたかったのかもな」


「そっかそっか、ドライブか。じゃ、さっそく行くか!」
「さっそくって、今からか?」
「まだ九時前だし、父さんいいよね?」
「お前が一緒なんだから、構わないよ。一時間位で戻るだろ?」
「うん、明日学校だからね。おれも仕事だし」
「七海は三時まで飲み歩いても平気だけどなー」
 茶化す伊風に「そんな時間まで飲み歩いてない」と返し、七海は急いで食事を平らげた。

 

3.夕雨とドライブ《前》

1.四人の高校生


 

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