嬉しくて、くすぐったくて(桜田桜の日常27)
「桜、そんなに緊張しなくてもいいんだよ」
ゴクリと唾を飲み込む桜に、晴夏がそう言ってくすりと笑った。
「春(しゅん)に紹介するだけでそれじゃあ、両親に会う時はカッチンコッチンになっちゃうかもしれないね」
「ご、ご両親にですか?!」
「だって、付き合う事になったんだよ?外でのデートももちろんいいけど、桜となら、家で一緒に料理するのもいいと思って」
「そ、そうですね!色々教えて下さい!」
「おーおー、随分と積極的だな」
「色々って、何か意味深じゃありません?」
茶化す声がして、桜はビクッと身をすくませた。春菊ともう一人、おそらく文芸部員だろう、ひょろっと背の高い、くせ毛の男子生徒が一緒だ。
「ふふっ、もちろんだよ桜。まずは何から始める?」
「えっと、コロッケを作りたいです!それからカレーを美味しく作る秘訣とか、南蛮漬けとか」
「食い物の話かよ」
「て言うか、俺たち完全にスルーされてますね」
「できたてカップルだからな、二人の世界にいたいんだろ」
「そうじゃない。下衆な連中に、桜がいかに純粋で可愛い子かという事を教えたかったんだ」
「えー、俺たち下衆ですかー?色々って言われたら、やっぱりねぇ。先の言葉には含まれていないその他もろもろ、を想像しちゃうでしょ?晴夏先輩だって」
「今は桜の話をしているんだから、私の事はどうでもいいんだよ」
「そうですかー?桜田君だって知りたいんじゃありません?逆に晴夏先輩は隠したいですか?」
男子生徒が意味ありげな笑いを晴夏に向けるので、桜は不快だった。子どもっぽいかもしれなけれど、なんとなく態度が馴れ馴れしいのも嫌で、桜は思わずかばうように晴夏の手を取る。
「桜?」
晴夏だけでなく、春菊や男子生徒も驚いた顔で桜を見る。居心地悪く思いつつも、桜はわずかに足を踏み出した。
「余計な話はやめにしません?早く帰りませんか、先輩」
「あ、うん。そうだね、帰ろう。その為に春を呼んだんだし」
「……へー、意外と言う。黙って苛められるタイプじゃないね」
男子部員の言葉に、そりゃそうだ、と春菊が言った。
「言う事も言えないような男なら、俺がとっとと別れさせてる」
「なんだ部長、もうすでにテスト済みって事ですか。さすが、仕事が早いですねー」
「テスト……」
男子部員の言葉に、桜は昼間のあれがそうだったのかと思い当たった。「妹を泣かすな」とだけ言えばカッコいいのにと思ったが、そういう目論見があったのなら、普通ではなかった言動にも納得がいく気がする。
(なんとなくそうなのかなとは思ってたけど……もしかして、お兄さんたち全員からテストされるのかな……)
部長があんなに美人なのに男っぽいのはお兄さん達に囲まれて育ったからなんだって、とグループの先輩方から聞いた。その言葉からは、お兄さん達が男らしい性格であるという事が窺えるのではないか。
正確に何人のお兄さんがいるのかは知らないが、その一人一人全員からテストされるのだと思うと、何だか不安になってきた。
(これは、いくらでも早いうちに挨拶に行った方がいいかもしれない……!)
挨拶が遅れれば遅れる程、お兄さんからの印象が悪くなるという事もあり得るのではないか。
『お前の彼氏、まだ挨拶に来ないのか』
『軟弱な男なら付き合わせられん』
まだ会った事もないお兄様方が厳しい言葉を発する場面を想像して(顔には覆いがかかっている)、桜は握ったままになっていた晴夏の手をグイッと引いた。
「先輩、週末ご挨拶に伺ってもいいですか?!」
「えっ、本当に?!」
「はい、善は急げと言いますし、早くご挨拶しないと……!」
「桜……!」
晴夏は感動の瞳で桜を見つめたが、春菊の「桜田、ちょっと」という手招きにハッとして、緩んだ表情を引き締めた。
桜は桜でハッとする。そう言えば、『サプライズで家に呼ぶから晴夏には内緒にしろ』と言われていた事を思い出したのだ。
晴夏から離れて春菊の元へ行くと、ガシッと肩を抱き込まれ、晴夏に背を向ける形で耳元に顔を寄せられる。
「お前、約束忘れてただろ?」
「忘れてました、すみません!」
「まぁいい。サプライズはナシになるが、自分から潔く挨拶に行くと言う姿勢は気に入った。やっぱり無理とか、後になって言うなよ」
「肝に銘じます……!」
桜の返答に春菊は一瞬ぽかんとして、次には「ははははは…!」とおかしそうに笑い出した。顔は離れたが肩は抱かれたままで、笑いの振動がダイレクトに伝わってくる。
「晴夏、お前これ絶対に逃がすなよ!」
「これとは何だ!でも、気に入ってくれたのは良かった」
「あぁ、気に入った。可愛い顔から見るに、大切に大切に育てられた吹かれれば吹き飛ぶようなお坊ちゃまかと思ってたが、いい意味で予想が裏切られた」
春菊はそう言って、桜の頭をわしわしとなでた。
「まあそういう訳だ、よろしくな桜」
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
「ははは、ほっぺた赤くなってんぞ。可愛いな」
目を細める春菊に、晴夏が慌てて「惚れるなよ!」と釘を刺す。
「別に人柄には惚れてもいいだろ。俺はそっちの気はないから心配すんな」
「分かってるけど、春は女子よりも男子にモテるタイプだろ」
「お前だって男子よりも女子にモテモテだろうが」
「そんな私を好きになってくれたんだぞ、春にだって惚れちゃうかもしれないじゃないか!」
「だから、人柄には惚れてもいいだろって」
「でも、桜は乙女チックだし……」
いつになく自信のなさそうな晴夏に、桜は内心驚きつつ晴夏を見た。窺うようにやはり桜にチラッと視線を向けた彼女とバッチリ目が合い、桜はにこりと微笑んだ。
桜は女の子しか好きになった事はない。だから最初は心外だと思ったが、彼女があんなに心配しているのは、それだけ双子の兄を認めているからなのだろうと分かったし、いつもと違う彼女が見れたのも、新鮮で嬉しかった。
「桜…!」
自分を見て頬を染める晴夏に、桜は心があたたかくなって幸せで満たされて、自然と彼女の名前を呼んでいた。
「晴夏さん」
「はいっ!」
「そういう意味ではお兄さんに惚れませんから、安心して下さい」
「ほ、ほんとに…?」
「もちろんです。先輩は男っぽいって言われてますけど、もし本当に男の人だったら、あくまで憧れの先輩だったと思います。どんなに好きだったとしても」
好きにだって色々あるでしょ?と付け加えた桜に、晴夏は「うん!」と駆け寄ってきた。
「離れろ春、いつまで桜の肩を抱いているんだ!」
「おーこわ、でもこれでこそ晴夏だよな」
「桜、もう一回さっきみたいに名前で呼んで?」
春菊と入れ替わりに今度は晴夏から首に腕を絡められ、顔をのぞき込まれて、桜は一気に赤面した。
「え、えっと」
「……晴夏さん」
声は小さくなってしまったが、それでも晴夏は満足したようにやわらかな笑みを浮かべる。
「ふふっ、私の桜は頼もしくって可愛くって、最高の恋人だな」
晴夏の言葉はとても嬉しい反面とてもくすぐったくて、桜は言葉ではなく、ただゆっくりと、彼女の瞳へと瞬きを返したのだった。