縞衣の小説ブログ

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ちゃんづけは禁止です。 ー3.3ー

 やばい、やばいやばい。
 九時過ぎ、家に送ってもらうため先輩方に挨拶して先に歓迎会を切り上げてきた俺は、前を歩く弓下さんの背を見ながらかなり緊張しまくっていた。


 弓下明依さんは、俺のバイトの面接を担当してくれた人だ。それ以前に、神対応で俺の憧れとなった人。バイトを始めてからもよく気にかけてくれて、ほんとに優しくていい人だと思っていた。
 だからさっき、目の前で突然この人が吠え出した時は、心臓が縮み上がる思いがした。温厚な優しい人、というイメージが、一瞬にしてガラガラと大きな音を立てて崩れ去った。
 でも、付き合いの浅い俺はまだいい。ずっと一緒に働いていた人は、さらなるショックを受けたはずだ。
 正直、弓下さんは特にイケメンではない。でも笑顔が良くて優しくて温かい。ずっと付き合ってる彼女がいるんだよ、と先輩から聞いた時も、ああやっぱりな、とすごく納得できた。こんないい男なら、恋人の一人や二人いて当然だと思えた。世の中ではイケメンがもてはやされる傾向にあるけど、顔が普通でもいい男はいい男なのだと彼のお陰で知った。


 店の裏手にあった有料駐車場まで来ると、弓下さんは精算機に近づいていく。
「あっ、俺も…」
 払います、と言う前に、片手を挙げて制止される。
「バイト始めたばっかの高校生からお金なんて取らないし」
「……すみません」
「何、もしかしてビビってんの?」
「………」
 もしかしなくてもビビってますすみません。
 だってさっきの弓下さん、めっちゃ怖かったですから。八島さんと一緒になってからかって遊べるウサさんはお化けです。
 そんな事を考えていたら、小さく笑う声が聞こえた。


「はは、俺より体格いいのに気はちっさいのな」
「………」
 すみません今の一言けっこうショックでした。
 て言うか弓下さん、何か普通に『俺』になってますよ。今までずっと『僕』だったのに。
 もう化けの皮が剥がれてしまったから今さら元には戻さないって事なんだろうか。あ、化けの皮って失礼か。


 弓下さんはポンと俺の背中を軽く叩いて、車のある方へ向かっていく。赤い軽のスポーツカー。店の駐車場に停まっているのを見て一体誰の車だろうと思っていたけど、弓下さんのだったのか! 先輩に「あのカッコいい車誰のですか」と訊いた時は、「さー誰のでしょう秘密ー」と教えて貰えなかったのだ。
「すげーカッコいい…」
 こんな車を颯爽と乗りこなすなんて、さすが弓下さん。
「まぁじいさんのお下がりだけどね。ニューモデルが出たからやるって貰ったんだ」
「太っ腹なおじいさんですね」
「はは、そうかな。さ、乗って」
「お邪魔します…」
 俺は恐る恐る車に乗ろうとして、躊躇した。


「あの、」
「そのままいいよ」
 訊く前に疑問が伝わったらしい。あまりに綺麗にしてあるので土足でもいいのか気になったのだ。
 軽だし車内は広くはないが、エンジンをかける弓下さんがめちゃくちゃカッコよく見える。まだ免許を持っていない俺からすれば、車を運転できる人はみんなカッコいい。その中でも弓下さんは特にカッコいい。
「すごいですね!」
 暗い車内で光る計器はやばいくらいカッコ良くて、興奮してしまう。もうさっきからカッコいいとしか思ってない気がするけど、それくらいとにかくカッコいい。


「車好き?」
「すっ好きです! これってオープンカーですよね?!」
「そ。天気のいい日に開けて走ると気持ちいいよ。今日は開けないけどね」
 つい肩を落とすと、弓下さんは楽しそうに笑った。
「そのうち乗せてやる」
「やった!」
 あ、しまったタメ口。
 が、弓下さんに気を悪くした様子はない。
 どうも、名前に『ちゃん』をつけて呼ばれる事が、何よりも嫌いらしい。あの時の切れ具合は尋常ではなかった。普段の弓下さんからは想像もつかない程。


 でもそれなら、明依さんとは呼んでもいいのかな?
 別に弓下さんで構わないんだけれど、姉しかいない俺はなんとなくこの人の事を兄みたいに思っているところがあって、だからもし構わないなら名前で呼んでみたいという気持ちもある。
 俺はチラリと運転する弓下さんに視線を向けた。駐車場を出て、赤信号で停車させる。
「何? 何か質問?」
 しまった、あんまりじっと見過ぎたか。


「あの、さ、さっきの、飲み会での事なんですけど」
「俺が切れまくった事?」
「は、はい」
「うん、何?」
「そ、その、弓下さんはちゃんづけされるのが嫌いなんですよね。名前で呼ばれる事には抵抗はないんですか?」
 『めい』という名前は、一般的には女子のものだと思う。だから、名前で呼ばれること自体が嫌いという事も十分に考えられはする。


「俺が嫌いなのは、名前で呼ばれる事じゃなくてちゃんづけされる事」
「じゃ、じゃあ俺が明依さんって呼んでも…」
「怒らないよ。名前で呼びたいの?」
「えっと…俺姉さんしかいないんです。それでその、男の人を名前で呼ぶのに憧れがあるって言うか…」
「兄貴みたいな存在が欲しいって意味?」
「そう、それです!」
「はは、別に構わないよ。じゃあ俺も香(こう)って呼ぼうかな」
「いいんですか?! ありがとうございます!」
 勢いよく頭を下げると、「そこまで喜ぶ事?」とおかしそうだ。


「『明依』ってさ、男の名前なら『あきより』って読むのが普通じゃないかと思うんだよね」
「そっちの方が良かったですか?」
「どうだろう。生まれた時から『めい』って呼ばれてるから、他の読み方だと違和感あるかな。香はどう? 字だけ見ると『かおり』って読まれそうだけど、名前にコンプレックスある?」
「いえ、俺はないです。読みは『こう』で男でも珍しくないから」
「そっか」


「あの…そう言えばタオル、やっぱり俺が持って帰って…」
「いやいや、俺が洗って来ます。柔軟剤使ってもいい?」
「え、そこまでして頂かなくても…」
「タオルは柔軟剤使った方がフワフワなるけど、香りが苦手って人もいるから」
「よほど強烈でなければ平気です」
「そっか、香だけにね」
「はい、はは」
 最初緊張していたのが嘘みたいに、送ってもらう道中は楽しかった。

 

 そう言えば途中ほとんど道を訊かれなかった。どうしてだろうと思っていたら、しっかりナビにウチの住所を登録してあったかららしい。さすが明依さん、なさる事がスマートです。やっぱりあなたは俺の憧れです。

 

ちゃんづけは禁止です。 ー3.5ー

ちゃんづけは禁止です。 -3-

 

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