縞衣の小説ブログ

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夕雨とドライブ《後》 (岩尾七海とSevenSea4)

 車の通りも少なく、目的地には十五分程で着いた。
 小さな漁港だ。砂浜はないが、海は海だ。浜のある綺麗なところは、さらに車を走らせなければならないので却下した。
 近くの空き地に車を停めると、七海たちは車から降りた。


「少し歩こうか」
 ズラリと漁船が並んでいる。ぽつぽつと並ぶ街灯の光が、漁船の白い船体に反射している。その前をいくらか歩いて、漁船が途切れ、海が見える場所を見つけた。
「前から思ってたけど、これってイスみたいだよな」
 船を繋ぎ止めるボラードを見て、夕雨がそう言った。


「危ないから座ろうとするなよ」
「分かってるよ。暗いしさ」
「服着てるから、水泳の授業の時みたいには泳げないからな。服がびっしょり水を吸って、すごく重くなる」
「落ちた事あんの?!」
 夕雨が本気で驚いた声を上げるので、七海は小さな笑みをこぼした。声がもれる程ではない。しかし雰囲気が伝わったらしく、夕雨は前言をフォローするかのように「ビックリした」と呟いた。


「海や川に落ちた事はないよ。でも、小学校の高学年の時かな。服を着たまま溺れそうになった時の対策として、どうすればいいかって授業で一回だけやった」
「服着たままプールに入ったって事?」
「そう。確か、服に空気を入れて浮き輪みたいにするんだったと思うよ。うろ覚えだし、できる自信はないけど」
「……落ちないから安心しろよ」
「歩きながら空を見上げるなよ」
「分かってるって。口うるさいとこ、姉さんとそっくり」
「そりゃ、弟が可愛いからだよ」
「…あっそ」


 夕雨はぷいっと海へ視線を移す。満月ではないが、結構な明るさだ。小さな波が光を受けて、黒い面と白い面をつくり出している。
 車の音も聞こえず、とても静かだ。
「…綺麗だ」
「うん」
 白い月の光が、優しく夕雨の顔を照らす。そのとても穏やかな表情に、七海は涙腺が緩みそうになった。こんな弟の顔を、初めて見た気がしたからだ。


「夕雨」
「ん?」
 名前を呼ばれて顔を向けた夕雨の頭に、七海は手を置いた。
「すっかり大きくなったなぁ」
「そりゃ…小学校も入ってなかったから」
「うん。『もうすぐ年長さんになる!』ってすごい誇らしげな顔で言ってたけど、三月の末には上京しちゃったから、実際に年長さんになったところは見れなかったんだよな」
「年長って…やっぱ俺すげーガキ」
「ははっ。仕事が忙しくてほとんど帰省できなかったし、ほとんど会えなかったから。記憶があの頃で止まってたんだ」


「俺は……あんまり、よく覚えてなくて。ずっと会わなかったから…」
「うん」
「帰って来て、一緒に暮らすって聞いた時、すっげードキドキした。初めて一緒に暮らす気分だったし、できれば離れていたいって気持ちも入り混じったりして…」
「戸惑わせちゃったな」
「けど…嫌じゃないよ」
「そう?」
「うん。慣れないとこもあるけど…」
「大丈夫、少しずつ慣れていけばいいんだから。こうやって、少しずつね」


 七海は、夕雨の髪を梳くようにして頭を撫でる。ゆっくりと繰り返されるその仕草に、夕雨はくすぐったそうな顔をした。
「何て言うか……やっぱり、兄貴とは違う」
「ふうん、そっか。どんなところが違う?」
「手が」
「手?」
 七海は撫でていた手を上げ、そのまま月光に当てる。


「何が違う?」
「手、大きいけど…やっぱり、兄貴の手とは違う」
「おれは美容師だからね」
「そうじゃなくて…それもあるかもだけど…」
 ごにょごにょと何か言っていた夕雨は、やがてはぁと溜息をつき、窺うように七海の顔を見た。


「ところで、一つ気になってた事があるんだけど…」
「ん、何?」
「七兄って……つも、……ん…な……なの?」
「え?」
 あまりにボソボソと話すものだから、何を言っているのかほとんど聞き取れない。
「ごめん夕雨、もう少し大きな声で言って?」
「だから…! 何でいつもそんなカッコな訳?!」
「え、そんなカッコって…」

 七海は、自分の服装を見下ろした。Vネックのコットンセーターにジーンズ、薄手のジャンパー。完全な普段着だが、出歩くのにおかしい格好という訳ではない。
「何か変?」
「変じゃない! イケメンだよ! だけどエロい!」
「…はぁ?」
 夕雨の口から思ってもみなかった単語が飛び出てきたので、七海は思わず間の抜けた声を上げてしまった。


「何、どういう意味?」
「どうもこうも、何でいつもそんなラインの服ばっか着るのかって言ってんだよ! 前に屈んだ時、胸見えるだろ!」
「え? そんな見えないだろ。て言うか見えても平気…」
「平気じゃない! そうやって色気振りまくなよ!」
「別に、そんなつもりはないんだけど。て言うかおれ、夕雨から見て色気あるの?」
「自分で分かってんだろ?! イケメンでモテモテの癖に!」
「やだなぁ、イケメンでモテモテなんて。照れるよ」
「褒めてないし!」
 夕雨は、今まで聞いた事がないくらい大きな声で怒鳴った。朴とつとしか話さなかった子が、こんなに元気よく喚くほど怒ってくれるなんて……愛されてるんだなぁと、七海の顔はついついニヤついてしまう。


「要するに、夕雨はおれのこと心配してくれてるんだな」
「そんなカッコで仕事してたら、スケベな奴にガン見されるだろ!」
 夕雨の顔は、それほど明るくない月明かりの中で見ても分かるほど真っ赤になっている。
「夕雨~」
 七海が名前を呼びつつ背後から両腕を回すと、夕雨は「わっ」と声を上げた。
「やめろよ、セクハラ親父!」
「おれ親父じゃないから」
「とにかくセクハラだ!」
 バタバタと暴れようとする夕雨を、七海は抑え込む。


「危ないから暴れるなよ」
「だったら離せよ…!」
「安心しろ。仕事の時は作務衣だし、ちゃんとアンダーも着てるから胸は見えない」
「えっ」
「仮に見えても、おれおっぱいないけど」
「思ったよりあるよ!」
「思ったより?」
 七海は夕雨の頭の後ろから顔を出す。頬が触れ合うほど近くになって、夕雨はぎゅっと口を結んだ。


「確かに谷間もあるけど、これほとんど胸筋だよ? ほんのちょっと、上の方がやわらかい気もするけど。とにかく、見た人は筋肉だと思うと思う」
「それでも見せるなよ…!」
「見せてるつもりはないよ。Vネックを着てるのは、丸首よりデザイン的に好きだからだ。一応、透けたりしにくいように厚手の下着を着るようにしてるし」
「…あんたが思ってるより、人はあんたを見てる!」
「まあ、確かに胸の辺りに視線を感じる事はあるよ。でもそれは胸筋だと思って見てるんであって、単純にすごいなぁって感想しか持ってない事だってあるよ」
「見られてる事には変わりないだろっ」
「そりゃそうだけど」


「とにかくVネックはやめろよ!」
「えー、ヤだよ。ファッションセンスについてとやかく言われたくない。て言うか、おれが着てるVネック、そこまで深くないし。鎖骨がちょっと見える程度だよ。まさかそれも見せるなっての?」
「開襟シャツとか着れば見えない」
「襟を開けば見えるよ」
「普通そこまで着崩さないだろ…?!」
「何をもって普通とするかによると思うけど。とにかく、おれはVネックはやめないから諦めろ」
「この頑固頭!」
「はいはい、何とでも。――そろそろ帰るか。遅くなると父さんたちが心配する」
「話を逸らすなよ…!」
 文句を言う夕雨から離れ、七海は肩をすくめた。


「続きなら車の中で聞くよ」
「もういいよ! どうせ勝てる気がしないっ」
 夕雨はくるっときびすを返し、先だって車へと向かっていく。
「ほんとに大きくなったなぁ」
 身長はまだまだ七海に及ばないが、年長さんになると言って誇らしげにしていた小さかった子が、こうして小言を言う程に成長したのだと思うと、とても感慨深い。
 夕雨の後姿を見ていたくて、七海はわざと少し離れて後を追った。

 

4.5.留守中

3.夕雨とドライブ《前》

 

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