縞衣の小説ブログ

縞衣(しまころも)の創作小説サイトです。4作品連載中。

深優と彼氏(岩尾七海とSevenSea6)

「遅くなってごめんね!」
 閉店間際の『SEVEN SEA』にそう言って入って来たのは、一組のカップルだった。
 正確には、カップルの女性がそう言った。
「いらっしゃいませ。まだ閉店前だよ」
 七海が微笑むと、「ありがとう」と女性は微笑みを返す。
 隣にいた男性が思いっ切り顔をしかめたのを見て、内心七海は苦笑した。
 しかし表情には出さず、顧客カードへの記入をお願いする。初来店の方に書いて頂くものだ。
 彼氏が終わったと無言で返してきたカードには、横木和希と書かれている。フリガナは、ヨコギではなくてオウギ。オウギカズキか、名字と名前の読みが似てるな。という感想を抱きながら、七海はお礼を言って「こちらへどうぞ」と男性を席へ案内した。


 女性は中学時代の友人だ。名前は深優(みゆ)。「みゆ」という名前自体はさほど珍しくはないと思うが、「深い優しさ」というその意味がとても素敵だねと、出会った当時、七海はそんな感想を彼女に伝えた。
 以来、深優とはとても仲がいい。両親に話せないような事も彼女には話せた。どんな時でも、七海の話を親身になって聞いてくれ、慰め、励ましてくれた。だから七海は、そんな優しくて可愛い彼女が大好きだ。
 そしてそれは親友として、なのだが……彼女と一緒に来店した男性はそうは思っていないらしく、険しい目つきで七海を睨みつけてくる。


「お客様、お足元にお気を付けくださいませ」
 七海の言葉に、彼は言われた通り足元を見た。席に座ると、再び七海へと視線を向ける。
「今日はどのようになさいますか?」
 深優から「今日、彼氏をカットに連れて行ってもいい?」というメールが届いたのは、昼過ぎの事だった。
 深優が勤め先の後輩の男性と付き合い始めたという話は、数ヶ月前に聞いていた。
 深優自身も、いつも七海のところへカットに来てくれているし、月に一度は一緒に食事をしているから、結構頻繁に会っていると言えるだろう。
 一度気になって「彼氏には何て説明してるの?」と聞いたら、「中学時代の仲良しのお友達とお食事するって伝えてる」という返事だった。
 それが、七海は気がかりだった。


 おそらく、「中学時代の仲良しのお友達」と言われて彼氏が思い浮かべるのは、女友達のはずだ。 七海は間違いなく女友達であるが、しかし彼氏がたまたま深優と七海のツーショットを目撃したとして、それが話題の「お友達」だとは思わないはずだ。むしろ、浮気しているのかと深優を疑うだろう。
 それは、深優にとって思わしい事ではない。自分が二人の妨げになる事だけは避けたいと、七海は深優に相談した。
「じゃあ、今度彼をお店に連れて行くね。前からそのつもりだったし、そこで七海を紹介するよ。そしたら誤解される事もないでしょ?」
 都合のいい日に連絡するから、と言われていたのだが、それが今日になったという訳だ。
 ――しかし、先程からずっと彼氏がこちらを睨んでいる事からして、深優は七海の性別を伝えてはいないらしい。
 もし「仲良しのお友達のお店でカットしない?」と彼を誘ったのなら、間違いなく彼は店主が女性である事を想像したはずだ。
 ところがどっこい、行ってみたら店主は男だったとなれば、それは彼氏にしてみれば警戒せずにはいられないだろう(七海は女性だが、初対面でそれを見抜いた人はほぼいないと言っていい)。
 深優は優しくていい子だが、こういうところは少し抜けている。


「深優さんには、中学時代からお世話になっています」
 ケープに腕を通してもらいながらそう言うと、彼氏は「…へえ」と低い声で返した。
「そんなに警戒しなくても、深優さんとは本当にただの友達ですよ」
「わざわざ言うところが怪しい」
「先程からずっと睨まれているので、気になって」
「カットできないとでも?」
「いいえ、もちろんさせて頂きます。ただ、誤解は解いておきたくて」
「誤解ねぇ」
 彼氏は胡散臭そうにそう言うと、ムッとした表情のまま両目をつむる。
 まだ前髪を切る訳じゃないし、目はつむらなくても構わない。そうでもしないと睨み続けてしまうからなのかもしれないが、ちょっと変わった人だな、と七海は思った。
(敵を目前に、目なんて閉じていいのかね。ここは相手の表情を観察するところじゃないのか?)
 七海は敵ではないが、彼にしてみればそうなのではないのか?


 七海は櫛で髪を梳く。彼氏の髪は、決して伸び過ぎている訳ではないけれど、色が綺麗な黒だから重い印象を受ける。少し長めにカットしてさっぱりすれば、結構なイメチェンになりそうだ。
「前回美容室へ行かれたのはいつ頃でした?」
「先月」
「綺麗な黒髪だから、少し重い印象ですね。だいたい一月に一センチくらい伸びるんですが、思い切って少し長めに、二センチくらい切ってみます?」
 七海の提案に、彼氏は「あー、じゃあそれで」と目を閉じたまま言った。
「分かりました」
 カットは十分足らずで終わった。彼氏は目を閉じていると眠くなるらしく、七海が専用の刷毛で顔の髪をはらう間も、眠っているようだった。「終わりましたよ」と声をかけると、ハッとしたように目を開けた。


「いかがですか?」
「あー、いいんじゃないすか」
「後ろもお見せしますね」
 鏡で後姿をチェックした時、彼氏の口元が満足げに笑んだのを見て、七海はホッとした。
「ほんとに早く終わるんですね」
「ええ、十分くらいですね。随分お疲れのようですが、マッサージでもいかがですか?」
「マッサージ?別料金とか?」
「いいえ、当店にそういったメニューはございません。もちろんサービスです」
「ゴマすろうっての?」
「ははは、直球ですね。ハッキリした方は嫌いじゃありませんよ」
「まぁ、深優の言う通り腕はいいようだな」
 彼氏は軽く肩をすくめると、「お願いします」と七海の顔を見上げた。
 思ったよりも礼儀正しい。来店時にはあんなに剥き出しだった敵意も、少し和らいだようだ。


「では、まず髪を吸引した後でマッサージを」
 カット後のシャンプーは行わないが、そのままだとカットした髪が服に落ちて大変な事になる。ドライヤーで飛ばすだけの所もあるが、細かい髪は後からどんどん出てくるので、専用の掃除機で髪を吸引するのだ。初めてだとビックリする人もいるので短く説明し、吸引した後クロスを外してマッサージを始めた。
「随分と凝っていますね」
 彼氏は会計を担当しているらしい。ちなみに、深優は受付嬢だ。
「痛くありませんか?」
「あー、ちょっと。でも気持ちいい」
「パソコン作業が多いんですよね?目に疲れを感じたりしませんか?」
「する。最近すげー疲れてて、頭痛も少し」
「だいぶ凝ってますからね。20分に一回くらい、立ち上がって軽く肩を回したりするだけでも全然違うみたいですよ」
「仕事に集中してたら、20分なんてあっと言う間ですよ」
 だから無理だ、と彼氏は言いたいらしい。
「じゃあ、立ち上がるだけでも。ほんの少し動くだけでも、ずっと同じ姿勢でいるよりはいいみたいですから」
「へー…。立つだけでいいならやってみるか」


「後は、お風呂でしっかり湯に浸かるのがいいかと」
「面倒だからシャワーで済ませる事が多くて。一人暮らしだし、飯作ったりするのに手かかるし」
「お気持ちは分かりますよ。おれも一人暮らし長かったので」
「湯に浸かると気持ちいいけど、眠くなるんだよな…。一人で入って溺れても困るし」
「そういう事なら、早く結婚されるのが一番かもしれませんね」
「やっぱそうっすよね」
「深優とはいずれ結婚されるおつもりで?」
 七海がこっそり耳元で尋ねると、彼氏は「もちろん」と頷いた。
「前から何度もアプローチしてて、ようやく付き合えるようになったんだ。だから、あんたには渡せない」
「心配いりませんよ、おれ女だし深優と結婚はしません」
 軽い口調でさらりとそう言うと、彼氏は無言で顔を上げた。その目つきは鋭く、「何言ってんだこいつ」と顔に書かれている。せっかく打ち解けかけてきていた空気が、一瞬にして元に戻ってしまった。
 その反応で、話が飲み込めていない、あるいは信じていないのだと分かる。


「男にしか見られませんけどね、本当ですよ。信じられないようなら、確認します?」
 にっこり微笑む七海に、「ダメだよ!」と深優が慌てて立ち上がる。雑誌に視線を落としていたが、こちらが気になって神経を尖らせていたに違いない。
 七海とて、もちろん本気で確認させる気はない。
 ただ、こう言えば大抵の人間は、七海の言う事が本当なのだと信じるから口にする。
 そこまで言うからには、事実なのだと認識するからあえて言うのだ。
「……」
 彼氏は無言だったが、その目には明らかに戸惑いの色が浮かんでいる。
 何も言わないのは、返す言葉に困っているからだろう。


「女の子は可愛いし好きですけど、そういう好きじゃありません」
「……あんたがそうでも、深優もそうとは限らない。第一」
 彼氏はそこで言葉を切って、一層眼光を鋭くする。
 若いのになかなか眼力があるな、と、こんな時だと言うのに七海は感心してしまった。
「性別なんか、どうでもいいんだよ」
「どうでもいい?」
 余計な事を考えていたせいだろうか、言われている意味が分からず七海は微かに眉を寄せた。
「あんた程のイケメンなら、男だろうと女だろうと関係ないだろ」
「関係ない――という事はありませんよ。でもとりあえず、あなたがおれを敵視する理由に性別は関係ない、という事は分かりました」
「さっきあんたを見て、深優の顔が赤くなった。あんたを好きな証拠だろ」
「えーまぁそうですね。でも、そういう好きとは違いますよ?」
「あんたは、な。深優は違うかもだろ」
 彼氏はそう言って立ち上がる。宣戦布告、とばかりに七海に顔を近づけ至近距離で睨もうとしてくるが……身長が、少し足りていない。おそらく彼氏は170前後だろう。深優は155㎝だから、彼女からすれば十分に背が高い。


「やたらとイケメンなのも気に入らないし、妙にカッコつけた喋り方も気に入らねえ。普段からそんななのかよ」
「ちょっと和希君!」
「深優、大丈夫だから心配しないで。――あなただって、仕事中はちゃんとするでしょう」
「もう閉店時間だろ?」
 要するに、だから仕事時の対応ではなくプライベート時の、素の七海を見せろと言う訳だ。
「深優、悪いけどドアの札、Closeに変えてくれる?」
「あ、うん」
「ブラインドも下げてくれると助かる」
「分かった」
 深優が札を掛け替え、ブラインドも下げたところで、七海は「ありがとう」とお礼を言った。
 じっと七海を睨み据えたままの彼氏に、七海はニヤリと笑って見せる。
 ハッとした表情の彼氏に、七海は腰に両手を当てた。


「で?おれの何が知りたいって?ヤキモチ焼きの和希君」
 彼氏――和希の顔が、面白いくらい真っ赤になった。

 

7.和希、七海、深優

5.8.夕雨と真辺の噂

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