縞衣の小説ブログ

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薄庵にて(岩尾七海とSevenSea9)

 翌日、閉店作業を済ませた七海は、約束の薄庵へと車を走らせた。
 約束の八時より五分早く着いた。が、駐車場には昨日見た和希の車がすでに停まっていて、到着している事が分かる。
 店に入ると、カウンターの店員さんが「一名様ですか?」と問いかけてきた。
「いえ、待ち合わせです」
 そう答えた時、和希の「岩尾さん!」と呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、こっちこっち、と手を振っている。店員さんに会釈して席に向かった。


「ごめん、待った?」
「ううん、私達もさっき来たとこ!」
 席は四人席だった。和希は奥の窓側に、深優は通路側に座っている。七海は二人の向かい、中間あたりに腰をかけた。
「メニューは決まった?」
「うん。和希君が海老天定食で、私は美人定食」
「デザートは後で?」
「うん」
「岩尾さん、よく食うって聞いてるけど遠慮しないで何でも」
 和希の言葉が途中で途切れた。テーブルの下で深優に足でも踏まれたのだろう、眉根を寄せて痛そうな顔をしている。


「おれは気にしないよ。よく食べるのは事実だし」
「ここ安くておいしいでしょ。定食二つ三つ頼んでも全然大丈夫なんで」
 懲りずに続ける和希が好印象で、七海は笑顔で「ありがとう」と言った。こういう直球タイプが七海は好きだ。裏表がなくていい。
「和希君みたいに遠慮なくもの言ってくれる人って好きだよ」
「えっ……何言ってんすか」
「もう七海、そうやってすぐイケメンオーラを振りまく。和希君が好きになっちゃったらどうするの?」
 大真面目にそんな事を言う深優に、七海は笑った。深優と一緒にいる時間が好きだが、そこに和希が加わっても何の違和感もない。きっと二人は、いい夫婦になるだろう。


 「おれは海鮮丼定食にしようかな」と言ったところで、ちょうど店員さんがお冷を持って来てくれる。
 七海がにっこりと受け取ると、若い女性店員が頬を赤らめた。
 深優がオーダーをする間、和希がじっと七海の顔を見つめてくる。
「そんなに見られたら、穴あきそうなんだけど」
 店員さんがいなくなり七海が言うと、和希は肩をすくめた。


「あんたって罪作りだな」
「ん?」
「さっき、あんたの顔見て店員が赤面してた。ああやって笑いかけられたら、誰だってそうなる」
「はは、そんな事ないよ。おれそこまでモテないから」
「それは七海に自覚がないだけだよ」
「そんな事ないでしょ」
「あるよ。七海は男性からも女性からもモテるんだからね」
「ああやって微笑まれたら男でもドキッとする。……でもってのはおかしいか」
 和希が自分で言いながら首を傾げる。どう言えばいいか分からないらしい。
「大丈夫、言いたい事は分かるから」
 七海の言葉に、和希は頷いた。
「ま、そういう事。あんまり笑顔振りまくなよ。すぐ好きとか言うのもなし」
 ただ会釈しただけなのに「罪作り」だの「笑顔を見せるな」だの、七海にしてみれば納得のいかない話だ。


「そんなこと言われてもね。好きって発言についてはともかく、世の中を生きていくのに愛想って必要じゃない?」
「それはそうだけど。あんたの場合、いらぬ誤解を招きかねないから言ってんだよ。例えばさっきの店員が、あんたに惚れて告白されたとする。困るだろ?」
「困ると言えば困るけど、ちゃんと説明してお断りするから」
「説明って」
「ま、深く関わりもしない相手に全部は話さないよ。それがかえってトラブルになる事もあるし」
「…だろうな」
 頬杖をついてこちらを見つめてくる和希の瞳が、気の毒そうな色を含んだ。
「はは、そんなかわいそうって顔しないでよ。おれは別に、自分の事を悲劇のヒーローだとは思っちゃいないんだから」
「ヒーローなのか」
「そりゃ、ヒロインかヒーローかって問われればヒーローだよ。おれ、七割方男だから」
「……ふーん」
 和希は返答に困ったのか、頬杖をやめてお冷に口をつける。


「――女からの告白を断るってのは、そういう事?」
 てっきり気まずさから黙り込んでしまうかと思ったのに、一口水を飲んだ和希は気持ちを切り替えたのか、今度は興味深そうに訊いてくる。こういうところが好きだ。腫物に触るような対応をされるよりも、こうして真っ直ぐに質問される方がずっといい。
「そういう事っていうのは、恋愛対象じゃないのかって事?」
 頷く和希に、七海は薄く笑った。
「男も女もいけるんじゃないかってたまに言われるけど、恋愛対象は男だけだよ」
「それは今まで、男しか好きになった事ないって事? 女には全く興味ない?」
「興味ないかと言われればあるよ。正直、女の子はおれにとって未知の生物だと言える。一般的な女の子がどういう事を考えるのか、おれにはさっぱり分からないからね。でも、和希君が言うような意味では興味ない。おっぱい大きい子がいたらすげぇなとは思うけど、性的な意味で興奮する訳じゃないし、エッチしたいのも男だけだ」
 多分和希が知りたいのはそういう事だろうと七海は率直に答えたのだが、話を聞きながら水を飲もうとしていた和希は、水を吹き出しそうになってグフッとむせ込んだ。


「大丈夫?」
 深優が背中をさすると、和希は嬉しそうな顔で彼女を見た。それからすぐに先程の話を思い出したのか、片手で口元を覆って咳をした後、軽く七海を睨む。
「――あんた、ちょっとは場所とかタイミング考えろよ」
「ん? ちゃんと声落としただろ?」
「そうだけど、耳良ければ聞こえるだろ。さっき通りかかった客、思いっ切りあんたのこと見てたし」
「そうだった? よく見てるね」
「こっちからはよく見えたんだよ。あんたの後ろ側から来たからな」
「ふぅん、そっか」
「そっかじゃねえって。あんた、少し危機感とか持った方がいいんじゃないの? あの男共がナンパして来たらどうすんだよ」
「はは、そんなのそうそうないよ」


「ナンパではなくても絡まれるかもだろ」
「好みの男なら別にいいよ」
「げっ…。あんた、結構軽いタイプ?」
「和希君」
 途端に、深優が厳しい声を出す。
「七海はそんな子じゃないよ」
「ごめん、冗談のつもりだったけどおれが悪かった」
 こんな事が原因で、また昨日のようにケンカにでもなったら事だ。迂闊な事を言ってしまった自分を反省しつつ、七海は早々に謝った。
「何て言うか、あまりこういう風に心配される事ってないから。男友達はみんなおれを男扱いしてるし、おれが誰かに何かされる事なんてあり得ないと思ってるし」
「七海、強いもんね」
「あー、空手か何かやってたの?」
「正解! 物心ついた頃から高校までずっと、空手をやってた」
「なんとなくそんな感じかとは思ってた。けどだからって、油断大敵だろ」
 どこかで聞いたようなセリフに、七海は思わずクスッと笑いをこぼす。


「何だよ、人がせっかく」
「うん、心配してくれてありがとう。下の弟が和希君と同じこと言ってすごい心配してたから、つい重なって見えて」
「へー、弟いんのか」
「いるよ、二人。それと姉さんが一人」
「四人姉弟か。うちは兄貴が一人と弟が一人の三人兄弟だ」
「和希君は真ん中か。言われてみれば、そんな感じもするかな」
「そんな感じって、どんな感じだよ」
「気を遣ってなさそうで使ってる感じ」
「ふーん、俺ってそんな風に見えんのか」
 和希はいつの間にかタメ口になっていて、ごくごく自然に会話をしている。七海は居心地が良くて、二人に微笑みかけた。そろって頬を赤らめる彼らが微笑ましい。


「はは、可愛いね」
「もう、七海ったら」
「……あんた昨日から、可愛い可愛いってあり得ないだろ」
「何で? 深優も可愛いって言ってただろ」
「あれは、あんたが訊いたから。『どこが、全然』とは言えなかったんだろ」
「そうなの深優?」
「――七海がSモードになってる」
 深優の呟きに、七海は笑った。こういう反応が可愛くて、ついからかいたくなってしまう。お似合いのカップルだ。
「あー……。飯まだ来ないのかよ」
 八つ当たり気味な和希の発言がおかしくて、七海はまた笑った。
「あんたよく笑うな」
「ごめんごめん、面白かったからつい」
「……別に謝る事じゃないだろ。責めてるんでも皮肉ってるんでもないから」
「そっか、ありがと」
「――それに礼もよく言う」
「そうかな?」
「幸せな生き方だな。誰でも生きてれば色々あるけど、あんたの人生は決して楽じゃなかっただろうに」
「和希君……」


 深優がどこか泣きそうな顔で隣に座る恋人を見た。――彼の言う通りだ。七海だってたくさん悩んだし、その頃は、決して楽ではなかった。
 でも、せっかく産んでもらって、せっかく生きているのだ。どうせなら、人生を楽しみたい。笑う事も泣く事も、七海は好きだ。笑っている時はとても幸せだし、泣くのだって、悲しいからとは限らない。嬉しくて、感動して泣く事だってある。仮に悲しくて泣くのでも、泣く事で気持ちがずっと楽になる。だから七海は、泣く事も好きだ。


「おれは健康なんだ。だからそれだけで恵まれてると思うし、好きな仕事にだって就けてる。一番幸せなのは、家族や友人に恵まれてる事だ。だから不平不満を垂れ流して生きるより、その時その時を楽しみながら生きていきたい」
「……」
「だから、和希君が理解してくれたのも嬉しいし、これからも深優をよろしくって思ってる」
「………だからって関係なくね?」
「ははっ、とにかくこれからもよろしく」
「…こちらこそ」
 和希が照れくさそうに言った時、食欲を刺激する香りと共に食事が運ばれて来た。

   ☆

「この後どっか行かない?」
 食後のデザートを注文後。深優がお手洗いへと立っている間に、男が一人、七海達のところへやって来てそう言った。
 和希が眼光を鋭くし、「行かない」と低い声で告げる。
「あの女の子の彼氏? あんたには用ないからいいよ。俺が誘ってんのは、こっちのイケメンで細マッチョな、セクシーなお兄さん」
 言うなり、男は七海の隣へ腰かけてくる。
 ほら見ろ、だから言わんこっちゃない。そんな顔をして眉間に皺を寄せる和希に大丈夫だという意味を込めて目配せして、七海は隣に座った男を見た。


「仲いいんだ、妬けるな」
「妬けるって、初対面だろうが」
 軽口を叩く男に、和希はピシャリと言い放つ。
 が、男はそんな和希を完全に無視して、馴れ馴れしく七海の肩に腕を回した。
「さっきの会話、聞こえたんだ。男とエッチしたいんだろ?」
 男は七海に顔を寄せて、しかしわざと和希にも聞こえるようにそう言った。
「なっ、お前岩尾さんから離れろ!」
「へぇ、名前イワオさんって言うんだ」
「!」
 和希がしまった!という顔をしたのを見て、男がニヤニヤ笑いを浮かべる。
 本当に下心があるのか、ただ暇つぶしに遊ぼうと思って声をかけてきたのか。おそらく両方だろうとアタリをつけながら、七海は男の顔を至近距離で見つめ返す。


「て言うか、イワオさんはホントにお兄さん? 近くで見たら、イケメンなだけじゃなくて肌もキレイだ」
 この男、七海が女だと気づいたか、あるいはどちらか分からないから確かめようというつもりのようだ。見抜いたのはなかなかだと思うが、遊び人ゆえの嗅覚であるのは間違いなさそうだ。
「谷間もすごそう」
 七海はジャケットを脱いで、座席に置いていた。着ているのは少し厚手のVネックのコットンセーターだ。襟ぐりは決して広く開いている訳ではないが、鎖骨やその下へと視線を感じる。


「ね、触ってもいい?」
 いい?と一応疑問形でありながら勝手に胸元へ忍ばせようとする手を、七海はやんわりと掴んだ。手を握られて男は嬉しそうな顔をしたが、しかしその表情はすぐに苦痛へと変わっていく。
 学生時代の友人達が七海を男扱いするのには、こういうところにも理由がある。七海は昔から、腕っぷしが強いだけでなく握力も強かった。その辺の男子を、軽く上回るくらいに。
「細い指だな」
 七海は男の手に一瞬視線をやってそう言った。すぐに目線は相手の目へと戻す。
「悪いけど、軽薄な男は好みじゃない。男はやっぱり、誠実でないと」
 だろ?と七海が薄く笑んで見せると、痛みで泣き顔になった男は、分かったというようにコクコクと頷いた。涙こそ出てはいないが、口は堅く引き結ばれている。
 本当に骨折させる訳にはいかない。七海がパッと手を放すと、男は一目散に逃げ出した。


「……深優の言う通りだった」
 難しい顔で腕組みした和希が、低い声で言う。
「何が?」
「胸筋すごいな、触ってもいい?とかスケベな目つきで見ながら言ってくる男がいるって」
「あぁ」
「あぁ、じゃないだろ。それに、何でもっと脅さないんだよ」
「脅すって?」
「あの程度じゃ、またどっかで声かけて来るかも」
「はは、それはないだろ。もう会う事もないって」
「そんなの分かんねぇだろ。強いって言うから、もっと荒々しく追っ払うのかと思ったら…」


「それは無理だよ。おれ有段者だから、下手するとこっちが逮捕されかねない」
「悪いのは向こうだろ」
「ナンパされただけだよ。ケガさせるのは行き過ぎだろ?」
「場合による」
「うん、でも今の場合は行き過ぎだよね」
「……まぁ」
 和希がしぶしぶ頷いたところで、深優が戻って来た。
「どうしたの? 難しい顔して」
「岩尾さんが男からナンパされた」
「えっ! どんな男?!」
「ちゃらいやつ。『谷間すごそう、触っていい?』とか抜かしやがった」
「サイッテー! あぁもう、どうして私がいない間に来るのかな! 引っ叩いてやりたかった!」


 拳を握る深優に、七海は思わず和希を見た。深優は結構、こうやって熱くなってしまうところがある。優しくて大人しい女性だと思っていたら驚くのではないかと思ったが、意外にも、和希はさほど驚いてはいなかった。
(すでにこういう深優を見たって事か)
 そう思って、七海は嬉しくなった。
 昨夜、「和希君からプロポーズしてもらえるみたい」と深優からメールが来た時にはさっそく動いたのかと多少驚いたが、同時に、深優が結構気が強い事ちゃんと知ってるよな?と若干の不安を抱いたのも事実である。元彼の中には、「こんな気強いとこあるなんてガッカリした」なんて勝手な事を言った男もいたからだ。


 でもこの分なら、大丈夫そうだ。彼は年下だが、深優を受け入れる包容力も持っているようだ。七海は知らず微笑んで和希の顔を見た。
「七海、そんな優しい顔で和希君見ちゃダメッ」
「え、そんな顔してた?」
「してたよ! 和希君も赤くなってるし、私のこと言えないじゃない」
「違っ、これは別にそんなんじゃ!」
「おれ、和希君を誘惑する気なんか微塵もないよ? 深優の事、ちゃんと分かった上で好きでいてくれてるんだって分かって、嬉しいだけ」
「……うん」
 深優が照れたように微笑んだ。隣で和希も照れくさそうに笑う。本当にお似合いだ。
「和希君、深優をよろしくお願いします」
 親友として、心からそう思う。
 頭を下げた七海に、和希は慌てて「こちらこそよろしくお願いします」とお辞儀を返した。
 そして顔を上げて、三人で視線を交わして微笑み合う。


 ――あぁ、なんて幸せな時間なんだろう。
 そう思うと同時に、ほんの少しだけ、心の片隅がチクリと痛む。
(おれにはきっと、一生こんな相手はできないだろうな)
 友達ならいい。でも恋人や結婚相手としては無理。そんな声はいくらでも聞いた。
(おれがモテるって? モテないよ。モテるって言うのは、長所や短所を分かった上で好かれるって事だ。おれは、知ったら線引きされる。離れていく。誰かの特別にはなれない)
 さっきみたいに、ただ興味本位で声をかけられるだけ。あんなの、モテるとは言わない。ただの遊びにしかならない。
(……おれって嫌な奴だな)
 幸せな二人を見て、……嫉妬している。多分、ほんのちょっとだけ。
 人間って、どうしてこんなに浅ましいんだろう。七海は幸せそうに微笑み合う二人に気づかれないように、ひっそりと小さな小さな溜息をこぼした。

 

8.帰宅中

 

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