ちゃんづけは禁止です。 -2-
僕、弓下(ゆみした)明依は、書店兼レンタルショップで働いている。
フロアは広い。ワンフロアに書籍からレンタルDVDやCD、コミック、セルのソフトまで取り扱うので、広くなければ収まらないのだ。
高校生の頃に夏休みと冬休みにアルバイトし始めたのが縁で(僕の通っていた高校は休暇中のバイトしか認められていなかった)、大学生になる頃、「ずっとここで働かないか」と店長に誘われた。割と短期バイトが多く、せっかく仕事を覚えた頃に辞めていってしまう為、長く働いてくれる子を探しているからという事だった。家から通える大学への合格が決まり、フラッとお店へ寄った時の出来事で、何かしらバイトをするつもりだった僕は、喜んでそのお誘いを受けた。大学を卒業し、就職するまではここで働こうとその時に決めた。
ところが、店長の言う「ずっと」は、僕が思っていたのとは違っていた。大学を卒業した後も社員として働かないかと、就職活動を始めた頃に切り出されたのだ。もちろん試験は受けなければならないが、僕はバイト歴が結構長いし、まず間違いなく合格だと言われれば、かなり魅力的だった。
僕は考えてみますと返事して、いくつか試験を受けた。安易に受け入れていいものかどうか迷ったし、他の会社に目を向けてみる事も必要なのではと思ったからだ。そうして三社目に落ちた時、店長の誘いを受ける事にした。たった三社で、と思われるかもしれないが、何社も受けてようやく受かった会社が実はブラック企業だった、なんて事もよくある話だ。この厳しい世の中で、「ずっと働いてほしい」と言ってくれる職場があるだけ、幸せだと思った。長く勤めていて、職場環境が悪くない事はよく分かっていたから。
こうして、大学を卒業後、僕は正社員になった。
まあ正社員になったからと言って、本社勤務ではなく店舗勤務の僕は、これまでと業務内容が変わる訳ではない。違いがあるとすれば役職の重さで、店長も副店長も休みの時には、正社員の僕に全てが委ねられる。店長方が同時に休む事は滅多にないが、二人とも家庭を持ち子どもがまだ小学生とあって、運動会といったイベントでお休みする事もあるので、「弓下君が正社員になってくれて本当に良かった」とすごく喜ばれた。
うちの会社では、店舗勤務の社員は願を出さない限り基本的に異動がない。異動があるのは、店長・副店長だけだ。「弓下君はいずれ店長になると思うから、しっかり頑張って」とにこやかに肩を叩かれた。その話がパートさんやバイトの子たちにも伝わったらしく、それ以来、みんなの僕に対する接し方が少し丁寧になった。
☆ ★ ☆ ★
「弓下君、明日の面接よろしくね」
いつものように勤務したある日、帰り際に店長からそう言われた。
「明日、中村副店長が急きょ休む事になったから」
「え、どうかされたんですか?」
「うーん、奥さんが高熱で寝込んでるそうでね」
「それは大変ですね。お子さん、まだ一歳になるかならないかじゃありませんでしたっけ?」
「そうなんだよ、それが心配でね。多分、有給を使って数日休む事になると思う。本当は明日僕が来ればいいんだろうけど、どうしても外せない用事があるから」
「分かりました。面接初めてですけど、どのようにすれば…」
「うん、印象が良かったらOKしていいよ。悪かったらお断りして」
「…かなり大雑把ですね」
「今、それなりにバイトの子いるだろ? 一人ぐらい増えても大丈夫だけど、無理して採用しなくてもいい状態だから」
「分かりました。他に注意点などはありますか?」
「経歴は履歴書で確認済みだから、得にないよ。じゃあそういう事で、よろしくね」
「はい、分かりました」
面接か。今まで受けた事しかないから、緊張してしまいそうだ。
「あ、そうだ。初めてだからって、緊張しなくていいよ。嘗められてもいけないから、いかにも慣れてますって顔でね」
「…努力します」
心を見透かされたみたいだな、と思いつつの僕の返答に、店長は笑いながら僕の背中をバシンと叩いた。
「大丈夫、弓下君ならできるよ」
☆ ★ ☆ ★
翌日の夕方、商品を整えたりしながら店内を見回っていると、バイトの子が僕を呼びに来た。
「弓下さん、来られました」
面接の子だ。
事務室へ向かうと、ドアの前に男の子が二人立っていた。一人はバイトの子。もう一人が面接を受ける子だ。高校一年生で、身長はあるがまだあどけない顔をしている。見覚えがある、たまにマンガや小説を買いに来てくれる子だ。店に置いていないマンガの取り寄せを頼まれた事もある。最近は電子書籍が普及して、本屋に置く在庫がぐんと減った。
「お待たせしました、面接を担当させて頂きます弓下といいます。どうぞ」
僕は事務室のドアを開けると、中へ通した。バイトの子がぺこりと頭を下げ、戻っていく。高校生の彼は、お辞儀をすると緊張顔で中に入った。
「さ、どうぞ」
応接スペースのソファを示すと、彼はおずおずとその前に向かった。が、座る様子はない。僕は正面に腰を下ろし、もう一度彼を促した。
「…失礼します」
かなり緊張しているようだが、礼儀正しい。好印象だ。
「弓下さん」
事務の方山(かたやま)さんが、履歴書を持って来てくれる。「ありがとうございます」と受け取ると、彼女は小さく頷いて席へ戻った。
僕は履歴書へ視線を落とすと、目の前の彼と見比べた。坂上香(さかうえこう)君。名前だけでは女の子だと間違われそうな点で、かなり親しみを覚えてしまう。
「坂上さんは、どうしてうちの面接を受けようと思われたんですか?」
「はい! 以前こちらの店員さんに丁寧に接して頂いて、高校生になったらこちらでバイトさせて頂きたいと思っていました!」
緊張のせいだろう、必要以上に元気のいい返答だ。
「丁寧にとは、具体的にどのような?」
「はい! 本を取り寄せて頂きたくて問い合わせたのですが…他の書店では、面倒そうな顔をされた事もありました。ですがこちらでは、とても丁寧に対応して下さいました!」
彼が好きなマンガが在庫として置かれていないから、新刊が出る度にうちで注文しているはずだ。それを受けた誰かの対応がきちんとしていたという事の証明となる言葉で、僕はついニッコリしそうになって表情を引き締める。
「お客様に対して丁寧に接する事は、基本中の基本です。面倒な顔をするなんて言語道断、自分の都合は関係ありません。それが社会人としての常識です」
「はい!」
「まあ坂上さんはまだ高校生ですが…お客様は、バイトかどうかで判断はされません。店員の対応がいいか悪いか、それが直接店の評価に繋がっていきます」
「はい」
「もしも急ぎの仕事がある時に問い合わせを頂いた場合、坂上さんならどうしますか?」
質問してから、ちょっと難しかっただろうかと思う。相手はまだ高校生だ。正解できなくても、これから指導していけばいい内容のはずだ。
坂上君は少し考えてから「とりあえずお待ち頂いて、他の人に対応してもらいます」。
「では、他の人の手もふさがっていたら?」
「えっと…自分の仕事が終わり次第、その方のところに向かいます」
坂上君の返答に、ぼくはニコリと笑った。
「では、いつから勤務できますか?」
「! はい、明日からでも!」
「平日は夕方希望とありますが、何時から入れますか?」
「学校が終わるのが四時なので、五時くらいから大丈夫です」
「分かりました。まだ高校生なので、夜七時か、長くても八時頃までの勤務になると思います。土日は、日中の勤務という事でよろしいですか?」
「はい、もちろんです!」
「分かりました。シフトについては店長に相談しますので、後日連絡させて頂きます。お疲れ様でした」
「はい! よろしくお願いします!」
坂上君は立ち上がると、勢いよく礼をした。ビシッと綺麗に四十五度。中学ではきっと運動部だったのだろう。
「こちらこそよろしくお願いします」
僕も立ち上がり、お辞儀を返す。
「あ、あ、あのっ」
坂上君は何かを聞きたそうに僕の顔を見る。
「はい、何か?」
「あ、あの、以前マンガを頼んで頂いた事があって!」
「あぁ、よくうちで注文して下さってますよね」
「! 知って――ご存じだったんですか!」
「よくいらっしゃってますので」
「覚えてて下さってありがとうございます! さっきの面接での話ですけど、弓下さんの事です!」
「えっ、僕?」
「はい! 俺、前はもうちょい大きい他の本屋に行ってたんです! 母さんが買い物に行く時にくっついて行って……でもそこでも読みたい本の在庫がなくて注文したら、忙しかったからかもしれないですけど、若い男性店員から軽く睨まれたんです。『何の本ですか』って、すごい態度悪く訊かれたし、こんな本屋もう二度と来るかって思いました。だから、さっき弓下さんがお話されてた事、本当にそうだなって思いました」
「そうですか。それなら尚更、坂上さんがされて嬉しいと思う丁寧な対応を心がけて下さい」
僕はいきなり自分の事だと言われてくすぐったい気持ちを隠しながら、大真面目な顔でそう言った。坂上君は知ってか知らずか、「はい、分かりました!」と元気いっぱいに返事する。
――うん、いいな。ハツラツとした感じが、若くて初々しくて。
ダラダラした口調で「え~、そうっすか~?」とか言われると、僕はついイラッとしてしまう。基本的に、僕はそこまで気が長くない。これでも昔に比べればだいぶ長くはなったが…大学生以降は、ケンカも数える程しかしていないし。
ここでは基本的に大人しい人物だと思われているようなので――ケンカは売られない限りしないし、そこまでペラペラよく喋る訳でもないし、普通にしていればそう映るだろう――昔は殴り合いのケンカとか普通にしてましたなんて言っても、「えー? まさかー」と信じてもらえなさそうだ。話を盛っていると思われるかもしれない。過去にケンカした相手の中には「その顔で強ぇとか有り得ねぇ」なんて難癖をつける輩もいた。そう思うなら吹っかけて来るなって話だ。弱そうだから絡んだんだったら、最初から弱い者苛めだ。真広の影響なのか、一族にそういう血が流れているからなのか分からないが、僕はそういう事が好きじゃない。
坂上君が帰ると、方山さんが「お疲れ様」と声をかけてくれた。
「どうも。面接、あれで大丈夫だったですかね?」
「大丈夫でしょ。初めてとは思えなかった」
「そうですか? 良かった」
「弓下君って、本番に強いタイプ?」
「あー、まぁそうかもですね」
「緊張とか全然してるように見えなかったし、あの子は慣れてるって思うでしょうね、普通に」
「それなら良かった。店長から、『嘗められないようにいかにも慣れてるって顔で』って言われてたんですよ」
「はは、もしかして家で練習した?」
「ええまぁ…」
家で真広に面接の事を話したら、「私が練習台になってあげる」となぜか嬉しそうに言われ、何回もやり直しさせられた。成果があったのかどうかは分からないが、ちゃんとできていたならそれで良しとしよう。真広はおそらく半ば遊んでいたけれど。
「真広さんでしょ」
「え?」
「練習相手」
方山さんはそう言ってニヤッと笑った。地味な僕と違って真広は美人だ。たまに店に来ると僕のところに来て親し気に話しかけ、僕も気安く返している姿を見て、「弓下さんの彼女美人!」という話があっと言う間にみんなに広まってしまった。もちろん僕は彼女ではなく叔母だと訂正したが、ちゃんと分かってる人が一体どれだけいるものか。
「よく分かりましたね」
「ほんと仲いいんだね、真広さんと」
「まぁいいんだとは思いますけど…」
「いいじゃない、年上の彼女とうまくいってるんだから」
方山さんの言葉に、僕はほら、と思う。
「真広は彼女じゃなくて叔母です」
「え、そうなの?」
前から何度もそう言っているのに、まるで初めて聞いたみたいに両目を丸くさせる方山さんに、少し苛立ちを覚えてしまう。
「俺、前からそう言ってますよね」
「え、今、俺って言わなかった?」
「言ってません。真広は叔母です」
「いやいや、絶対言った俺って! 弓下君が俺って言った! きゃー!」
何が「きゃー」なんだ。レアなもん聞いた!ってきゃーか?
方山さんは僕がうっかり俺と言ってしまった事に気を取られて、真広が叔母だという話はスルーしてしまった。「みんなに言わなきゃ!」と、僕が俺と言った事を広めようとしている。勘弁してほしい、どうせ広めるなら真広が叔母だと広めてくれ。
が、僕のそんな願いは当然伝わる事もなく、翌日には、僕が俺と言ったというどうでもいいだろう話が従業員中に広まっていた。まったく、やれやれだ。